![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/00/05efa121b43ca94c6cd537199562957a.jpg)
土日は八ヶ岳へ。
少し時間が余り、<清春芸術村>へ偶然迷い込む。
そこには小林秀雄の桜があり(鎌倉の小林邸から移植されたもの)、梅原龍三郎のアトリエがあり、ジョルジュ・ルオーのステンドグラスとルオーの次女から贈られたキリスト像のある礼拝堂があった。キリスト像の写真を撮ると、頭部が光に包まれていて驚いた。
レストランには岡本太郎の原画もあった。銀座の吉井画廊の方がされているので、質の高いものばかりが無造作に置いてあり驚いた。
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→○清春芸術村
八ヶ岳では、芸術と医療の統合・調和を目指す前準備のような合宿だった。
八ヶ岳や北杜市は、都市として芸術特区を目指している。芸術により人が豊かになる都市づくり。それは未来の社会や医療の在り方とも関係してくるので、自分もできるだけ協力したいと思う。
芸術には医療的な側面があり、医療には芸術的な側面がある。互いは相補的なもので、芸術に携わる生き方をすることが、未来の予防医学になると思う。
芸術は人を賢くするのではなく、人を豊かにするものだ。
■
東京ノーヴィの「銀河鉄道の夜」の芝居は泣けた。
自分の子ども時代を思い出した。死を受け取る、ということを。
アニシモフ監督は、役者さんの芝居がうまくいかないとき、その役者が幼少時の記憶とアクセスできることを促すようだ。純粋無垢な状態の原初の記憶と結びつくことが、役を演じながら人としても成長していくことともつながっているみたいだ。
宮沢賢治の世界は純粋な魂の領域を扱っている。それは極めて純粋で未分化な世界。その領域を大人が表現するには、子どもの世界として表現するのが適切なのだろう。
賢治の思いが、演劇体験を通して自分の中に流れ込むのを感じた。
賢治はこう尋ねてくる。
「本当の幸いとはなんだろう」
→○東京ノーヴィ「銀河鉄道の夜」
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■
三原典子さんのドラムワークショップでは、百種類近くの楽器を自由に使いながら、全員が音楽に主体的に関与する。
個々がバラバラに音を出しているような時でも、人は無意識的に共鳴し、調和を目指して互いが影響し合っている。
ファシリテーターの指揮により、時々パンと音が揃う。
その重なり合う瞬間は何ともいえず心地良い。
多様性と調和。
多様性が存在しているからこそ調和の瞬間が気持ちよく、別の言い方をすれば、調和を感じるには多様性がその前提になっているのだ。
音と音の重なり合い、響き合いの世界は体験でしか学べない。
知的なものではなく情緒的なものだ。
こういう授業が小中学校でも積極的に行われていけばいい。
子どもの時のちょっとした思い込み(自分は音楽の才能がない。音楽が嫌いだ、、、など)が、その人の人生を大きく左右することが多いから。
音という非言語でのコミュニケーションは、人種や国境を超えた普遍性を感じさせる素晴らしいものだった。こういうことがオリンピックの開会式でできれば素晴らしい。オリンピックとパラリンピックとの掛け橋にもなる。
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→○三原典子 ドラムサークル研究所
■
Chieさんによる、パステル画のワークショップも楽しかった。パステル画を、指で直接描く。身体全体で描く絵画はこどものときの無邪気な世界を思いだした。パステルは砂のような粒子で、その細かい粒子を紙の凹凸へとすりこむように色を画用紙に定着させる。色の粒子の世界と遊んでいるような時間は、画用紙という砂場で日が暮れるまで遊んでいるようなものだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/8d/a92cc190443960e93409386decc87f21.jpg)
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→○ChieArt(光の画家Chie)
居川晶子さんの孔雀の絵もご家族が持参され、飾らせてもらいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/5d/6c06e7ab1313e50329e460a98fb496d9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/ae/c978bb159c71f12ec3fec546d57c838e.jpg)
そういえば。東京での初の個展となる居川晶子さんの展覧会も開催されます。
少し先ですが、
*******
8/24-8/28 10-17時
Gallery フェーマス
文京区本駒込3-20-3
講談社フェーマススクールズ1F
*******
是非ご予定あけておいてください!
實吉徹さんのご尽力で、東京での初の個展となりました。
實吉さんは、以前は講談社で手塚治虫さんや水木しげるさんなど、大巨匠とも漫画の仕事を直接されていたようで、手塚治虫の火の鳥と、晶子さんの孔雀の絵と、直感的に同じものを感じたとのことです。
自分も全面的にサポート。
晶子さんの人となりも本当に素敵な方ですので、是非会いに行ってほしいです。
→○いかわあきこ (居川晶子) カラフルアート - Yahoo!ブログ
→○居川晶子さん御家族(2015-11-03)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/9e/345347854a4133032319effa37710166.jpg)
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・・・
自分は死んだ祖父から「藝遊」という言葉と書を送られた。
芸術して、遊んで一生を生きなさい、というメッセージだと受け取っている。
人生を芸術作品だととらえ、同時に遊びの時間だと捉えるには、子どもの時の感性を保ち続けることが基礎になる。
自分の0歳時、1歳時、2歳時、、、という連続的な時間を、終わったものとしてではなく、いまここに重なり合い響き合っているものとして、常に感じながら抱きしめながら生きていくことが必要なのだと思う。
純粋な世界を、再起動してインストールしなおすような2日間だった。
自分は2歳の時から「水」という存在が気になっている。
八ヶ岳の日々は雲が美しく、水の雲としての側面を、何度も何度も天を仰いで観察し続ける2日間でもあった。
同行して頂いた皆さま、本当に楽しい時間を有難うございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/11/7e628c40cd1697d43ae75a3767e366cd.jpg)
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少し時間が余り、<清春芸術村>へ偶然迷い込む。
そこには小林秀雄の桜があり(鎌倉の小林邸から移植されたもの)、梅原龍三郎のアトリエがあり、ジョルジュ・ルオーのステンドグラスとルオーの次女から贈られたキリスト像のある礼拝堂があった。キリスト像の写真を撮ると、頭部が光に包まれていて驚いた。
レストランには岡本太郎の原画もあった。銀座の吉井画廊の方がされているので、質の高いものばかりが無造作に置いてあり驚いた。
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→○清春芸術村
八ヶ岳では、芸術と医療の統合・調和を目指す前準備のような合宿だった。
八ヶ岳や北杜市は、都市として芸術特区を目指している。芸術により人が豊かになる都市づくり。それは未来の社会や医療の在り方とも関係してくるので、自分もできるだけ協力したいと思う。
芸術には医療的な側面があり、医療には芸術的な側面がある。互いは相補的なもので、芸術に携わる生き方をすることが、未来の予防医学になると思う。
芸術は人を賢くするのではなく、人を豊かにするものだ。
■
東京ノーヴィの「銀河鉄道の夜」の芝居は泣けた。
自分の子ども時代を思い出した。死を受け取る、ということを。
アニシモフ監督は、役者さんの芝居がうまくいかないとき、その役者が幼少時の記憶とアクセスできることを促すようだ。純粋無垢な状態の原初の記憶と結びつくことが、役を演じながら人としても成長していくことともつながっているみたいだ。
宮沢賢治の世界は純粋な魂の領域を扱っている。それは極めて純粋で未分化な世界。その領域を大人が表現するには、子どもの世界として表現するのが適切なのだろう。
賢治の思いが、演劇体験を通して自分の中に流れ込むのを感じた。
賢治はこう尋ねてくる。
「本当の幸いとはなんだろう」
→○東京ノーヴィ「銀河鉄道の夜」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/08/114e8868b6c536a66ec913b289a3540c.jpg)
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■
三原典子さんのドラムワークショップでは、百種類近くの楽器を自由に使いながら、全員が音楽に主体的に関与する。
個々がバラバラに音を出しているような時でも、人は無意識的に共鳴し、調和を目指して互いが影響し合っている。
ファシリテーターの指揮により、時々パンと音が揃う。
その重なり合う瞬間は何ともいえず心地良い。
多様性と調和。
多様性が存在しているからこそ調和の瞬間が気持ちよく、別の言い方をすれば、調和を感じるには多様性がその前提になっているのだ。
音と音の重なり合い、響き合いの世界は体験でしか学べない。
知的なものではなく情緒的なものだ。
こういう授業が小中学校でも積極的に行われていけばいい。
子どもの時のちょっとした思い込み(自分は音楽の才能がない。音楽が嫌いだ、、、など)が、その人の人生を大きく左右することが多いから。
音という非言語でのコミュニケーションは、人種や国境を超えた普遍性を感じさせる素晴らしいものだった。こういうことがオリンピックの開会式でできれば素晴らしい。オリンピックとパラリンピックとの掛け橋にもなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/b8/0d316e9e8ba2ce57d90f07983ba259f9.jpg)
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→○三原典子 ドラムサークル研究所
■
Chieさんによる、パステル画のワークショップも楽しかった。パステル画を、指で直接描く。身体全体で描く絵画はこどものときの無邪気な世界を思いだした。パステルは砂のような粒子で、その細かい粒子を紙の凹凸へとすりこむように色を画用紙に定着させる。色の粒子の世界と遊んでいるような時間は、画用紙という砂場で日が暮れるまで遊んでいるようなものだった。
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→○ChieArt(光の画家Chie)
居川晶子さんの孔雀の絵もご家族が持参され、飾らせてもらいました。
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そういえば。東京での初の個展となる居川晶子さんの展覧会も開催されます。
少し先ですが、
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8/24-8/28 10-17時
Gallery フェーマス
文京区本駒込3-20-3
講談社フェーマススクールズ1F
*******
是非ご予定あけておいてください!
實吉徹さんのご尽力で、東京での初の個展となりました。
實吉さんは、以前は講談社で手塚治虫さんや水木しげるさんなど、大巨匠とも漫画の仕事を直接されていたようで、手塚治虫の火の鳥と、晶子さんの孔雀の絵と、直感的に同じものを感じたとのことです。
自分も全面的にサポート。
晶子さんの人となりも本当に素敵な方ですので、是非会いに行ってほしいです。
→○いかわあきこ (居川晶子) カラフルアート - Yahoo!ブログ
→○居川晶子さん御家族(2015-11-03)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/9e/345347854a4133032319effa37710166.jpg)
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自分は死んだ祖父から「藝遊」という言葉と書を送られた。
芸術して、遊んで一生を生きなさい、というメッセージだと受け取っている。
人生を芸術作品だととらえ、同時に遊びの時間だと捉えるには、子どもの時の感性を保ち続けることが基礎になる。
自分の0歳時、1歳時、2歳時、、、という連続的な時間を、終わったものとしてではなく、いまここに重なり合い響き合っているものとして、常に感じながら抱きしめながら生きていくことが必要なのだと思う。
純粋な世界を、再起動してインストールしなおすような2日間だった。
自分は2歳の時から「水」という存在が気になっている。
八ヶ岳の日々は雲が美しく、水の雲としての側面を、何度も何度も天を仰いで観察し続ける2日間でもあった。
同行して頂いた皆さま、本当に楽しい時間を有難うございました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/11/7e628c40cd1697d43ae75a3767e366cd.jpg)
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