2009年もあと二日。
相も変わらず、今日も仕事で、大晦日も正月も当直で、大晦日のガキの使いスペシャルは録画で観なければいけません。
当直中に、ふと時間が空く「時間の吹き溜まり」のような時間ができてしまうのです。
集中して本を読むと、電話が突然鳴って読書を打ち切られる。
だから、読書の世界に完全に入り込めない。
(短編エッセイは、こういう状況では読みやすい)
そういうとき、PCに向かってコソコ . . . 本文を読む
■「長さ」について
当直中に時間があるとき、調べものをして暇を潰している。
「時間」の定義を調べていて、「極小と極大の時間」(2009-12-22)というものを書いた。
「時間」は、原子の回転と地球の回転から決められている。
次に「長さ」の定義を調べてみたら、まず「地球」や「人体」を基準に決められ、それが人工の尺度へと一度変換されたのちに、「光」を基準にして決められ、現在に至っている。
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東京国立博物館で「国宝 土偶展」を見てきた。
ほんとうにすごかった!
そんなに広い部屋ではなく、ワンフロアに縄文時代(約16,500年前~約3,000年前)の色々な時期の土偶が置いてあるのだけど、土偶があまりにも多様で驚いた。
一番古い土偶は、縄文時代草創期で約13,000年前のもの。
土偶を単独で見る機会はあるけれど、色んな時代の色んな場所の土偶が数多く一同に介することは滅多にないのでは。 . . . 本文を読む
「時間」について調べて、驚いた。
「時間をこういう風に決めましたよ。いいですか?いいですね。じゃあ、そんな感じでやっていきまーす」
というようなことを聞いたことは勿論ないのだけれど、僕らが普段見ている腕時計、壁時計、時報・・・・・様々な時間は、人為的に考え出された共通時間によって作られている。
自分は、この世界のことをほとんど何も知らない。
ほんの30年前の1972年から「時間」の国際基 . . . 本文を読む
耳に関して、少し調べていたら、偶然に色んなことを学んだ。
神話『古事記』では、人間を「青人草(あおひとくさ)」という風に植物にたとえて表現している。
(夫イザナキが、死んで黄泉国に行った妻イザナミを迎えに行く。夫イザナキがは、そこで腐り朽ち果てたイザナミの姿を見て逃げ帰る。桃の実を投げてイザナミ追い返す時、イザナキの言葉がある。)
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汝、如助吾、於葦原中国 . . . 本文を読む
冬は心臓の病気が不安定になりやすく、仕事もなんとなくバタバタしてます。
その合間に、気分転換も含めて少し外出する。
パソコン、電子機器・・・人工空間で満ち溢れた空間にい続けると、とても息苦しく感じる時がある。
脳とか意識だけの世界に集中していると気づかないことも多いんですけどね。
上野の森美術館で『聖地チベット展』を見てきた。2010年1月11日までやっている。
神聖なものが多くて、 . . . 本文を読む
竹内整一先生の『と日本人』(NHKシリーズ) (←もう絶版ですが、12月26日に『 「かなしみ」の哲学 日本精神史の源をさぐる』(NHK出版)から再販されますのでお楽しみに!)を読んでいて、自分がブログを対話(Dialogue)のイメージ書いていた点と共感できることが書いてあったのでメモした。
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『物が真に表現的なものとして我々に迫るのは孤独においてである . . . 本文を読む
次号の風の旅人が、「この世の際」「極限の可能性への欲求」をテーマにしているということで、昔から考えていた「理性の限界」というテーマを、ふと空想した。
(アロウの不可能性定理、ハイゼンベルグの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理・・)
人間に、理性と感情の<あわい>の側面があるとすれば、理性は科学を生んだ。
科学は、全体を部分に細分化して、「分ける」ことを「分かる」こととした。
砂浜 . . . 本文を読む