チケットがあまったということで、唐突に野球観戦に誘われた。
東京ドームは職場からも近い。
途中の仕事を、文字通り途中で放り出し、東京ドームへ。
やはり、なんでも生で体感するのは違う。
実際の野球。
延長11回裏。ツーアウト1塁2塁。
カキーンと音がしたボールは、放物線を描いて、自分の右から左へと、高く高く移動した。
スリーランホームラン。
いやー興奮。
「ホームランだ、やったー!」
という . . . 本文を読む
芸術では、「意味がよくわからんけど何かグッと来た」っていう感想が多い。
それは、意味とか言葉とかでひとまとまりにできない状態を、
あるスタイル(絵、音、踊り・・)で包み込まれたものとして受け取ったからだと思う。
言語が行きうる深さは意識界だし、非言語で行きうる世界は無意識界。
どちらがいいというものでもなくて、
それぞれの井戸は、掘れば掘るほど深い底でつながっている。
芸術の作り手が . . . 本文を読む
学生時代から10年越しくらい毎年行っている涸沢登山に行ってきました。
2010年度涸沢登山
1日目は普通にノーマルルートで涸沢入り。
2日目は朝は布団を干して朝寝(朝5時に起きるので午前に眠くなる)。昼からは北穂高を往復。
3日目は朝3時に起きて、奥穂高、前穂高を経由して下山。
経験が少ない人も連れて行ったけど、無事怪我なく下山出来てなにより。
下界でも今年一番の暑さだったらしく、12時 . . . 本文を読む
自然。
Natureと自然(じねん)。
「自然」という漢字は、もともと「じねん」と呼ばれていた。
幕末から明治にかけて、西欧文化を取り入れるために、多くの翻訳語が急いで生みだされた。
Natureという英語に「自然」という漢字を当てて、「しぜん」と読むように、翻訳された。
もともとの「自然(じねん)」は荘子から来る。
漢字のとおり、「オノズカラ(自ら)、シカル(然る)」というもの。
本来的に . . . 本文を読む
「成長」を感じるときがある。
「成長」って、自分の中の「こども」の部分が、「おとな」の部分へ変わっていくような感じだ。
「こども」とか「おとな」って、永遠に自分の中で組み換えが置き続けるものなんだろう。
変わっていくとは言っても、どこかに消えてなくなったというわけではない。
自分の中の「こども」が自分の中の「おとな」の中へと大きく包み込まれていく感じだ。
自分の中の「こども」を、分け . . . 本文を読む
2010年7月3日~10月11日まで、芸大美術館で
「シャガール ロシア・アヴァンギャルドとの出会い 交錯する夢と前衛」という展覧会をやっている。
近所なので見てきた。まだ3ヶ月はやってるし、もう1回くらい観に行ってこようかな。
シャガールを観るといつも思うのは「無意識」に関して。
僕らが「無意識」を見つけたことで、抽象絵画なるものも同時に生まれた。
絵は、意識だけでなくて無意識にも広がる . . . 本文を読む
中国の道教から来た健康長寿を願う庚申信仰がある。
庚申信仰のようなものは平安時代からあって(枕草子にも出てくる)、江戸時代では民間信仰のように広まった。
仏教(密教)・神道・修験道・呪術的な医学・・と、日本の民間信仰・習俗が複雑にからみあった複合信仰。
田舎の道端で<庚申塔>って書いてある古い石像を見ることあるけど、それはこの民間信仰らしい。
庚申信仰の世界観では、人の身体の中には三尸(さん . . . 本文を読む