仕事ではボロ雑巾のように働き、疲れ果て、そして家路につく。精一杯、日々生きている。
風呂に入るのも面倒くさく、明日の朝入ろうと思う。すぐにでも眠りたい。
でも、そんな風に「仕事で疲れたイメージ」の中で眠りにつくと、夢の中でも「仕事に追い回されるイメージ」でうなされそうだと思う。だから本を読む。眠い目をこすりつつ、本を読む。一行でもいいから、読む。
・・・・
翌朝の目覚め。
本のシオリは先に . . . 本文を読む
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人と話すことで、自分の考えはまとまってくることがある。
流水に小舟を浮かばせるように、脳内のフローに想念を流す。それは単なる移りゆく考えごとになる。
形を与えられずに流れたものは地下へと沈澱してゆく。それも過去の考えごとになる。
言語というひとつの論理体系がある。コードのようなものだ。
日本語という言語体系を利用して、その沈殿していこうとする流動物を日本語というひとつのコードに従って束 . . . 本文を読む
「家にいるときって何してるんですか?」
と聞かれることがあります。
ただ、この返答にはいつも困ります。
「基本的には本を読んで、疲れたらテレビを見て、音楽を聞きたくなったら音楽をかけ、のどが乾いたらお茶を飲むかコーヒーをつくる。眠くなったら眠り、おなかが空いたら食材を買いに行って料理する。その合間に洗濯をして、掃除をする。
するとまた本が読みたくなり、疲れたらテレビを見て、・・・・」
正直に . . . 本文を読む
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本職の学会発表で福岡に行ってました。
参加者が年々多くなっていて、お祭りに近い感じ。
アカデミックな雰囲気が薄れてきているので、こういう学術発表にも興味が薄れてくる自分がいます。
それはともかく。
福岡はいいですね。
食事もうまいし、活気あるし。美術館も行ってきました。
熊本の次に好きです。
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本職の仕事のほうに、かなりの時間がとられています。
もっと自分の内的世界を膨らませたい . . . 本文を読む
寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」
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『自分は「俳句とはいったいどんなものですか」という世にも愚劣なる質問を持ち出した。それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたからである。その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。
「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである。」 . . . 本文を読む
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職業柄、亡くなる方を看ることが多い。
だから、基本的に自分の心の中は持続的に喪に服している。
3.11の震災は、個人レベルではなくて集団レベルで喪に服す出来事なのだと思う。
外的な世界での死は、各個人の内的な世界での死と対応する。内的な何かが死んでしまう。
それは因果律(原因があって結果が起こる)かもしれないし共時的(意味のある偶然の一致)なものかもしれない。
人間にとって、死には喪 . . . 本文を読む
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集中していると、妄想とか雑念が消える。
逆に言えば、普通の脳の状態は妄想とか雑念が多い。
黙って目をつぶって静かにしていると分かる。
脳の中に、想念が浮かんでは消え、浮かんでは消える。それはまるで永久の泡のように。
誰もが、こどもからおとなになる。
その過程で、脳の中の雑念や想念が急激に増えてくるように思う。
ただ、いろんなことを経験してほんとうの意味でおとなになるということは、そ . . . 本文を読む
手塚治虫先生の「鬼丸大将」をなんとなしに読み始めたら思いっきりその世界に吸い込まれた。
号泣。号泣。号泣。号泣に次ぐ号泣。ひさびさこんな泣いたー。
手塚先生はほんとに偉大だなぁ。善悪とか正義とか愛とか・・・いろいろなものを考えさせてくれる。
はー、偉大すぎる、手塚先生。
文庫で手塚全集が出はじめてるから、ファンにはたまりませぬ。
手塚作品を読んだことがない人は、なんでもいいんで、だまされたと . . . 本文を読む