僕の感性

詩、映画、古書、薀蓄などを感性の赴くまま紹介します。

「ね」の未来

2010-05-15 21:28:16 | ことば
穂村弘の「本当はちがうんだ日記」というエッセイを読んだ。
その中に「ね」の未来という作品があって、ある女性編集者の恋愛について書かれていた。

彼女が学生時代に20歳年上の男性とつきあっていた。
ふたりはとてもうまくいっていたが、ある時、彼から来た一通のメールを見て、彼女は「醒めてしまった」のだという。

問題はメールの最後の一文にあった。

がんばってネ。

これを見た瞬間に、「あ、駄目、と思ったの」と彼女は云ったらしい。

「ネ」が昔の人って感じで、それまで年のこと全然意識してなかったけど、これをみた瞬間に、やっぱり中身はおじさんなんだなあと思ったそうである。

では、どう書けばよかったのか。
ここは、「ね」なのだそうだ。
「がんばってね」

突然別れを切り出された男性はさぞかし驚いたことだろう。
実に馬鹿げた瑣末的な理由で二人は永遠の決別を成し遂げたのである。

昔の慣わし

2010-05-15 14:34:29 | Weblog
中学生の時、駅伝の代表選手に選ばれました。
本番当日、なぜか体が重くだるい。当時は「水は飲むな!」という迷信が跋扈していましたので、それを只管遵守した結果炎天下のマラソンで体が悲鳴をあげてしまった訳です。

はたまた卓球部の練習で今では悪名高き「うさぎ跳び」を延々とした記憶があります。
けれど不思議と膝がやられることもなく今日に至っております。

また、マラソン練習の時、隣を並走する、長距離得意のM君の呼吸法を観察すると
一回空気を吸って、一回吐く「スーハー、スーハー」の繰り返しです。
私はというと二回吸って、二回吐くというリズムで走っていました。
彼の真似をすれば早く走れるかな?と思って私も「スーハー、スーハー」と走ってみたのですが、だんだん息苦しくなるのです。
私にとってこの呼吸法はとても忙(せわ)しなく、一回こっきりの真似で終わってしまいました。

だからなんだってこともないのですが、迷信がまかり通ったり、良いと思って真似してかえって逆効果だったり青春とはある意味無駄なことの積み重ねで推移していくものだなあというお話でしたチャンチャン