今日はネタが無いなと思って「今日は何の日」で検索してみると、今日は「交通信号の日,三色信号設置の日」だそうです。
1931年(昭和6年)に銀座の尾張町交差点(現在の銀座4丁目交差点)・京橋交差点などに、日本初の3色灯の自動信号機が設置されたとのことです。
昭和6年といえば、戦前であり親父もまだ生まれてないというかなり前から信号機って設置されてたんですね。
ただ、私の記憶によると幼少の頃の高松は、まだ信号が少なく、警察官が交差点のど真ん中で手旗信号を行っていた記憶がありますので、この時代の地域間格差は今では到底考えられないくらいの格差があったのではないかと思われます。
ちなみに、私は車が好きで昭和30年代後半のプリンス自動車(現日産)のグロリアの中古車を買おうと真剣に考えたことがありました。
グレードはスーパー6(シックス)で当時は珍しい6気筒エンジンでシートは西陣織で概観は昔のアメ車です。
今のように装備はありませんがあこがれました。
そこで、どうせ買うのだったら当時のナンバープレート((香5)今であれば香川500)付きの車を探そうと思ったのですが、この当時のグロリアは香川県に2~3台しか売れなかったそうで、東京に比べたら道路事情や所得の格差も相当あったと思われます。
ところで、今の信号機にはLEDが採用され見やすくなりました。
LEDは私が当社に入社した頃から押したら光るスイッチなどには既に採用されていましたが、当時は高輝度(明るい)青色が出せないと言う欠点がありました。
徳島の日亜科学がそれを克服し、かなりの高輝度となり懐中電灯や照明器具や屋外の大型映像表示装置にも採用されています。
LEDは消費電力が少なく、寿命も長いことから今後ますます普及していくものと思われます。
大型映像表示装置については、思い出があります。
14年ほど前に「これからは大型映像の時代なので勉強して来い!」と言われ私がM電機の京都の工場へ半年間研修しに行ったことがありました。
当時はブラウン管が支流で、映画館のように屋内の場合はブラウン管3本で光の三原色であるRGB(赤・緑・青)それぞれの色を投影しカラー映像を作っていました。
40インチ以上のテレビのように映すプロジェクションテレビ(リアプロジェクター)は中にそのブラウン管が内臓されていました。
多画面のマルチビジョンはそれが複数台たばねて一つの大きな映像を映していました。
ようは、ブラウン管方式は暗かったのです。
屋外の大型映像は、画面すべてに小さいブラウン管がびっしり並べられそれぞれのブラウン管がRGBの光を出しカラー映像を作っていました。
ちなみに、香川の丸亀競艇はこの方式の大型映像です。
当時面白かったのは、3つのブラウン管が光の三原色であるRGB(赤・緑・青)それぞれの色を一色づつ光らしているのにスクリーンで見るとカラー映像となります。
ようは光の三原色ですべての色が出せるのです。
この考えは、現在の液晶テレビの画面をかなり近くで覗き込むと分かります。
屋外の大型映像は、ブラウン管からLEDに変わりました。
その研修が半年間終えて、大型映像の営業をしたのですが、バブル崩壊の余波がどんどん現れてきて高価な大型映像を採用していただけるような自治体の箱物も急激にしぼんでしまいました。
また、問題は高価な大型映像を採用しても何を流してどんな効果が現れるのか?費用対効果が問われる時代になってきて、あるお客様には大型映像を設置してコマーシャルを流すよりも看板の方がいつでも見れるのでメリットが薄いという意見を聞いたこともありました。
現在は形をかえて、液晶テレビが大型で安くなってきたこともあり電子看板的な利用をされるようになってきています。
今では大型映像の営業はしていませんが、話があればチャレンジはしてみたいと思っております。
しかし、工場で見た暗い部屋でのブラウン管の3管方式のデモ映像が今でも頭から離れません。
当時はそれだけで感動しました。
感動していただける商売ってすばらしいですね!
1931年(昭和6年)に銀座の尾張町交差点(現在の銀座4丁目交差点)・京橋交差点などに、日本初の3色灯の自動信号機が設置されたとのことです。
昭和6年といえば、戦前であり親父もまだ生まれてないというかなり前から信号機って設置されてたんですね。
ただ、私の記憶によると幼少の頃の高松は、まだ信号が少なく、警察官が交差点のど真ん中で手旗信号を行っていた記憶がありますので、この時代の地域間格差は今では到底考えられないくらいの格差があったのではないかと思われます。
ちなみに、私は車が好きで昭和30年代後半のプリンス自動車(現日産)のグロリアの中古車を買おうと真剣に考えたことがありました。
グレードはスーパー6(シックス)で当時は珍しい6気筒エンジンでシートは西陣織で概観は昔のアメ車です。
今のように装備はありませんがあこがれました。
そこで、どうせ買うのだったら当時のナンバープレート((香5)今であれば香川500)付きの車を探そうと思ったのですが、この当時のグロリアは香川県に2~3台しか売れなかったそうで、東京に比べたら道路事情や所得の格差も相当あったと思われます。
ところで、今の信号機にはLEDが採用され見やすくなりました。
LEDは私が当社に入社した頃から押したら光るスイッチなどには既に採用されていましたが、当時は高輝度(明るい)青色が出せないと言う欠点がありました。
徳島の日亜科学がそれを克服し、かなりの高輝度となり懐中電灯や照明器具や屋外の大型映像表示装置にも採用されています。
LEDは消費電力が少なく、寿命も長いことから今後ますます普及していくものと思われます。
大型映像表示装置については、思い出があります。
14年ほど前に「これからは大型映像の時代なので勉強して来い!」と言われ私がM電機の京都の工場へ半年間研修しに行ったことがありました。
当時はブラウン管が支流で、映画館のように屋内の場合はブラウン管3本で光の三原色であるRGB(赤・緑・青)それぞれの色を投影しカラー映像を作っていました。
40インチ以上のテレビのように映すプロジェクションテレビ(リアプロジェクター)は中にそのブラウン管が内臓されていました。
多画面のマルチビジョンはそれが複数台たばねて一つの大きな映像を映していました。
ようは、ブラウン管方式は暗かったのです。
屋外の大型映像は、画面すべてに小さいブラウン管がびっしり並べられそれぞれのブラウン管がRGBの光を出しカラー映像を作っていました。
ちなみに、香川の丸亀競艇はこの方式の大型映像です。
当時面白かったのは、3つのブラウン管が光の三原色であるRGB(赤・緑・青)それぞれの色を一色づつ光らしているのにスクリーンで見るとカラー映像となります。
ようは光の三原色ですべての色が出せるのです。
この考えは、現在の液晶テレビの画面をかなり近くで覗き込むと分かります。
屋外の大型映像は、ブラウン管からLEDに変わりました。
その研修が半年間終えて、大型映像の営業をしたのですが、バブル崩壊の余波がどんどん現れてきて高価な大型映像を採用していただけるような自治体の箱物も急激にしぼんでしまいました。
また、問題は高価な大型映像を採用しても何を流してどんな効果が現れるのか?費用対効果が問われる時代になってきて、あるお客様には大型映像を設置してコマーシャルを流すよりも看板の方がいつでも見れるのでメリットが薄いという意見を聞いたこともありました。
現在は形をかえて、液晶テレビが大型で安くなってきたこともあり電子看板的な利用をされるようになってきています。
今では大型映像の営業はしていませんが、話があればチャレンジはしてみたいと思っております。
しかし、工場で見た暗い部屋でのブラウン管の3管方式のデモ映像が今でも頭から離れません。
当時はそれだけで感動しました。
感動していただける商売ってすばらしいですね!