去る5月30日に開催しました一般社団法人全国陸上無線協会四国支部の30周年記念式典が地元紙に掲載されました。
当日は、支部長として初の式典での式辞を述べる役どころをどうしようかと悩みましたが何とかなりましたし、良かったと言っていただける方もいたのでホッとしています。
その時の考えに感が抜いた式辞と記事を是非ご覧ください。
この記事を掲載していただいた香川経済レポート社のK様ありがとうございました!
式 辞
本日はご多用のところを、多数の方々にご列席を賜り感謝申し上げます。
ご多忙中にもかかわりませずご来賓として、総務省四国総合通信局から局長〇〇〇〇様、無線通信部長〇〇〇〇様、陸上課長〇〇〇〇様のご臨席を賜わっております。記念式典にご講演いただく西南地域ネットワーク株式会社の創業者である〇〇〇〇様にもご臨席を賜っております。当協会からは〇〇会長、〇〇企画調査部長が東京から駆け付けていただき、四国支部から歴代支部長の〇〇第3代支部長、〇〇第4代支部長、そして〇〇第4代事務局長もご列席いただいております。
さて、私の顔に似合いませんが、本日5月30日の誕生花の一つにオリーブがあり、花言葉は平和と知恵となっております。ヨーロッパでは平和と充実の象徴だそうです。当協会30周年を香川県高松市で開催させていただいたご縁もあり、この平和と会員各社がこれからも充実した事業が続いていく事を願うばかりです。なお、香川県の県象は、カガワの頭文字のカタカナの「カ」をデザインしたもので、香川県の特色ある山容と、平和のシンボルである県花・県木「オリーブ」の葉を表現し、恵まれた風土にはぐくまれて、向上発展を続ける香川県のすがたを象徴しています。昭和52年10月1日に制定されました。
その4年後の昭和56年4月に任意団体として四国陸上無線協会が発足し、初代会長は〇〇無線社の故〇〇〇〇様で会員数は70社からのスタートでした。
昭和61年度の電波法改正により全国一元的に取りまとめる機関として、これまで各地に設置されていた任意団体を母体とする統一組織として昭和62年1月23日に皆様方のご協力により、社団法人全国陸上無線協会が設立され本年度で設立30周年を迎えることが出来ました。
戦後の陸上無線の歴史を紐解いてみると、ほぼ国や公共団体が活用していた電波を、高度経済成長の波に乗ったタクシー会社が電波を開放してほしいという流れから次第に民間にも開放され急激に電波の利活用は増えていきました。
それから技術革新による小型化、低価格化、GPS活用の位置情報の提供、携帯電話の登場、など市場が大きく拡大していきました。
任意団体として設立された当時の四国の無線局数は10万局で、今では390万局を超えています。しかしながら、携帯電話を除くと12万1千局で今後も自営通信を取り巻く環境は、自営通信という現状の枠では厳しいと言わざるを得ません。
任意団体時の初代藤本会長は、四無協会報No,1でこのような挨拶をしております。
ご存知の通り、会員は無線機の製造所をはじめとして、販売店、工事店等で構成され経営の規模等も大小様々であります。しかしながら、無線機の「あきない」に何らかの形で携わっており、生活をしている事が共通点であると思います。当協会は、各種申請事務の合理化、迅速化を図るために設立されたわけでありますが、折角の機会でありますので、それにとどまることなく、申請、工事、会員各位の共通する問題については、個々の枠にこだわることなく胸を開いて、語り合い、協力をし、たまには一献を傾けながら、親睦を深めていける会にしていきたいと念じております。
と、あいさつをされております。
今私たち自営通信業界の現状は、ご存知の通り技術の進歩もあり、無線のデジタル化、携帯電話の急激な普及、高速ブロードバンド、無線LAN、LTEなどの公衆回線網の高度な利活用。今後はIOTやAIが普及していきます。その中で当協会並びに私たち会員各社は、この流れをビジネスの絶好の機会に捉えられるよう、原点に立ち返り個々の枠にこだわることなく胸を開いて語り合い、協力をし、たまには一献を傾けながら親睦を深めつつ、四国という地域社会に貢献し続けられる協会であり続けられますよう、みなさま方と共に目指していきましょうというお誓いを申し上げまして簡単ではございますが私からの式辞とさせていただきます。
平成29年5月30日
一般社団法人全国陸上無線協会四国支部
支部長 和田 成登