風とみどりに! 

風の訪れる庭、みどりに戯れる日々の記録

福島レポート(いわきの東日本大震災展)

2017-06-15 | 東日本大震災
小名浜の「いわき・ら・ら・ミュウ」に立ち寄った折、
海を見ようと2階に上がり「いわきの東日本大震災展」に出会った。
そこは、2011年3月11日、あの日何が起こったのか記録されたコーナーだった。
展示のタイトルにもある言葉は深く心に刻まれた。
忘れたくとも「忘れられない」ことを抱かえながら 生きていく人々の姿・・・。
それを支えるのは、多くの人々によって少しずつ灯されていく希望の灯だ。
今、自分たちに、生き残った者として何ができるのか。
そこには「忘れてはいけないこと」がある。
展示はあの日の悪夢の記録、しかし未来への警鐘。

避難所の段ボールで間仕切りしたスペースが再現されている。
そばにいた女性が話してくださったのは、
「うちの娘も避難所にいたけれど、ブルーシート一枚で段ボールすらなかった」と。
床で食べる非常食・・・
今、平和な日々を当たり前と思って生活している私たち、
この東日本大震災の教訓を忘れてはいけないのだと
改めて強く感じました。
この展示は、いわきの人々ではなく、
震災から遠く離れた人々が見るべきだと思います。
震災と津波で壊滅的な被害を受けた町、
この日の小名浜港は、
あの暴れた海と同じなのかと信じられないほど、静かに青かった。

あの日、私は車で震災を知り、すぐ娘のアパートに駆けつけた。
2歳と生まれて2か月の孫たちを抱いて、鳥肌のたつような映像を見ていた。

自分ならどうしただろう?
想いは前に進まず、自分には及ばないだろうと避けている私がいる・・・。

しかし、災害はいつどこで起きても不思議ではないこと。
「忘れてはいけない」このことを心に刻む旅でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島レポート(富岡町から楢葉町)

2017-06-15 | 東日本大震災
楢葉町と言えばJヴィレッジ、
サッカーのナショナルトレーニングセンターですね。
原発事故の対応拠点に使われたサッカー施設もその役目が終わり、
グラウンドの天然芝の張り替えが行われました。
平成30年夏には一部再開されるようです。

「道の駅ならは」ハッピーロードネット事務局でこんなお宝に出会ってきました。
サッカー日本代表の懐かしいメンバー、
震災前年、2010年10月のものです。
道の駅は双葉警察署臨時庁舎になっていますが、
道の駅として営業再開に動き出しているようです。
放射線量を測る「モニタリングポスト」が設置されています。
数値は0.077マイクロシーベルト。
ここは富岡町あたりの復興住宅でしょうか。
一歩ずつ、前に向かっている福島、頑張れ!
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島レポート(福島第一原子力発電所)

2017-06-14 | 東日本大震災
大熊町に入ると福島第一原子力発電所が見えてきます。
送電線の鉄塔、クレーンの長いアーム、TVでよく見る光景です。
今、廃炉の現場には毎日約6千人の作業員が
被曝のリスクを負い、命がけで働いているのです。
家族はどんな思いで受け止めているのでしょうか?

このみどりの中に埋もれている家、どれだけ悔しく悲しい思いなのか・・・
国道6号から1キロ位は離れているのでしょうか?
測定器の数値はどんどん上がっていきます。
この日大熊町R6号近くのモニタリングポストの数値は、6.3マイクロシーベルトでした。

帰る人のいない家、大きく背を伸ばす草木、
何処まで走っても、黒い山が続きます。
除染特別地域(国が除染事業を進める地域)の除染情報(29/5/26時点)
仮置き場等:267ケ所、保管物数:約755万袋、
他の地域を加えたら・・・気の遠くなるような数です。
フェンスの向こう、初夏の緑はこんなに美しいのに、悔しいですね。

震災や津波は止めることの出来ない天災です、

しかし、この原発事故は人災です。絶対安全なんてあるはずがない。
これだけ広大な地域を、大勢の人々を、未来の人々をまで巻き込んだ原発事故。
この大きな痛みを伴った教訓があるのに、なぜ止められないのだろうか?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島レポート2017(南相馬市から双葉町へ)

2017-06-14 | 東日本大震災
目に見えない放射能の脅威、それが目に見える形となって、
行き着く先を待ちながら積み上げられている仮置き場の光景は異常です。
「復興」「避難指示解除」そんな言葉を大きく伝える報道、
でも、この現実はどれだけ伝わっているのでしょうか?

旅の2日目は南相馬市から国道6号を南下します、ここは南相馬道の駅。
「帰還困難区域」この文字の看板が目立ち始めます。
この町にも黒い廃棄物の山が続きます。
7月29~31日に繰り広げられる夏の風物詩「相馬野馬追」、
震災後主要行事は実施されてきましたが「騎馬武者行列」は中止でした。
今夏は7年ぶりに小高区での「宵乗行列」「帰り馬行列」が再開されるようです。
少しづつ震災前の状況に近づこうと頑張る福島です。
一部規制されていた国道6号は2014年9月から自由通行となりましたが、
帰還困難区域内の区間ではオートバイや自転車、歩行者の通行は認められず、
車を途中で停車して外に出ることはできません。

ダッシュ村で放映されていた浪江町
あの美しい里山はどうなっているのでしょうか?

国道沿いの大きな建物、駐車場は工事に関わる現場事務所だけが人の気配、
交差する道路や建物は侵入を防ぐフェンスの乱立、その奥は時間の止まった町。
いたるところでフェンスの前に検問の警察官が立つ双葉町、
こんな息苦しい光景を見ながら車は事故現場福島第一原子力発電所に近づいていきます。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島レポート2017(かしまの一本松)

2017-06-13 | 東日本大震災
「奇跡の一本松」といえば、モニュメントになった岩手県陸前高田市が有名だが、
南相馬市鹿島区にも東日本大震災の津波に耐えた「かしまの一本松」があります。
あの津波で何もかも無くなった海辺に、ポツンと立っている木は、
高さ約25メートル、根回り約2メートル。
今は葉も無く、幹は傷でボロボロ、もうすでに枯れてしまっています。
震災前は海辺の集落を守るように数万本もの松林があったというが、
震災で集落は流失、54人が犠牲となる壊滅的な被害を受けました。
地元の人々の希望の一本松、大切に見守ってきたが、
防潮堤防が壊れ、海が荒れると一本松も海水に浸され命つきてしまった。
堤防の再建工事やかさ上げ工事のために伐採が決まったようです。

でも、一本松のまつぼっくりから小さい芽が育っているそうです、
この子孫たちが、逞しい松に育ち、集落を守る林となることを祈ります。

何もない広大な土地にソーラー発電の設備が拡がっていきます。
一本松はどんな思いでこの光景を見ているのでしょうか?

Google マップのストリートビューで「かしまの一本松」を検索すると、
もう少し元気だった頃の様子が見えます。

かしま福幸商店街、
移転や店じまいで、営業店も少なくなり、
復興商店もその役目を終えようとしているようです。

鹿島区の勝縁寺さんのお堂をお借りし、私達の仲間「退職者の会福島支部」の方達に
震災時、そして今の様子をお聴きしました。
自宅に避難者を受入れた時のこと、
差別や不安に苦しむ避難者の心情、

除染、廃棄物の処理のこと、
空き家を荒らす盗人たちのこと、

街灯は新しくなり輝いているが、家の灯りの増えていかない町、
子供や孫の事を思うと戻れない人々のこと、
話は尽きません。

この地で困難に立ち向かっている人の生の声、
年月を経て、淡々と語れる彼らに、
聴いている私の方が胸が詰まってきます。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする