ワニなつノート

鉢植えの自信(その10)

鉢植えの自信(その10)

1年ほど前に家に届いた手紙です。
差出人の名前はありませんでした。

◇   ◇   ◇

前略ごめん下さいませ。
はじめてお便りさせて頂きます。
ワニのなつやすみNo69を読ませて頂き、
さとうさんの「失くしたものは…」に対し、憤りを感じます。
最後の3行 どういうことでしょうか。
偏見を持たれているのは、あなたではありませんか。
特別支援学級に対し、どういう意識を持っていらっしゃるのですか。

私の子供は特学に通っております。
特学の先生は真剣に一人一人の子供とむき合い、
個々に合わせた学習をすすめてくれています。
個々に合った…それは決して差別ではないと思います。

そして、普通級との交流、
(交流自体が差別に感じるかもしれませんが)
その中で培われていく、おたがいを認め合い愛しむ心など。
それは差別とはいえないと思うのですが…。

確かに能力のない教師がおどしに使うクラスかもしれません。
しかし普通級の子供達が知らないわけではないし、
そんなに嫌悪するクラスなのでしょうか。

特学を持った学校では、その学校なりに、認め合い、
わかり合う事の必要性を説いているのではないでしょうか。

私はあなたの無責任な発想とおもい込みに憤りを感じます。
あなたこそ、差別しているのですよ。
特学や障害児(者)を。

◇   ◇   ◇

手紙を読んでしばらくは、ひとつひとつ言いたいこと、
言い返したいことを考えたりもしました。
苛立ちや怒りの感情がわいてしまうこともありました。
でも、私の苛立ちや怒りは、「手紙をくれた人」に
向いているのではないと感じました。

それに、これを書いた人の立場、子どもへの思いや、
特学や交流への期待も分かります。

なにより、「あなたこそ、差別しているのですよ」
という言葉は、その通りでした。

だからこの一年、手紙を財布に入れてずっと持っていました。
私が本当に言いたいことが何かを確かめるため、
毎日一度は思い出すようにと財布に入れ、考え続けてきました。
(つづく)

コメント一覧

shimizu
いえいえ、またyoさんが書いてくれて嬉しいです。

つけたしますが、私が当時怖かったのは障害児というより、特学の存在でした。学校の一番端の教室にいる、なぜか学年もクラスもなく集められた人達。当時私達には交流はおろか、その存在の説明もありませんでした。
ただ子供心に勉強ができない人があそこに集められて
しかたなく遊びみたいな事をやっているのだと感じていました。
だから、ただでさえ問題児の私が一緒に遊んで、そっちがいいなら、どうぞなんてことになったら、もう大変!
だってそこに行ってしまったら、もう普通の小学生の生活はないのですから。
今となっては逃げてしまったことは申し訳なかったなと
苦い思い出になっています。
私がその後、特学の教室に近づくことはなかったし、彼らの存在に気持をはせることもありませんでした。
そして、その後の数少ない障害者の方と接触した思い出も苦いものばかり。
あの時、誰もが垣根なく等身大の彼らとつきあえたら、傷つけ傷つきあう事も子供の障害を知ってからの葛藤や苦労や心配も、今ほどではなかったはずです。

ただそんな事考えるのは少数派で、さびしいですね。

yo
shimizuさん
コメントありがとうございました。

とても大切な何かを伝えてもらっていることを、
すぐに感じて、
言葉にしようとしてきたのですが、
うまく言葉になりませんでした。

とりあえず、
今日のブログは、shimizuさんのおかげで、
こういうカタチになった気がします。


shimizu
私は自分は差別していると思います。
小学生の時特学の教室を友達と覗いたら、魚釣りゲームをしていました「ええなー勉強せんで遊んでいられて」友達とそんな会話をかわした時、特学の先生が手招きをしながら一緒にやろうよと言いました。その途端私たちはものすごい勢いで走って逃げました。理由はわかりませんが、あの中に入ってはいけない。教室で勉強するのがあるべき社会なんだ、そんな気持ちで一杯でした。

息子の就学を控えて複数の特別支援学級を見学に行きました、どこもやさしい先生が丁寧に教えてくれていましたが、個別で親切であればある程、それでは埋められないな何かが沢山あり、溜息をつきました。それは小学生の時逃げてきた理由そのものではなかったかと思います。
そして就学を決める時も息子の意思の他に自分が行きたくないところ、障害がなくてもあそこに行けて羨ましいなと思わないところに子供をやりたくないと思いました。
そして、普通学級に入ってそちらから見た今、見学に行った時あんなに大きな存在な様にみえた特別支援学級の影があまりにも薄いのにびっくりしました。

私が今の息子の生活に安心をおぼえているように、手紙を下さった方だけでなく、大多数の特別支援学級のお母さん方は同じように手厚くやさしい先生や交流に希望や安心を見出して生きているのですからyoさんのコメントに傷つくのもいたしかたないのかもしれません。

でも問題なのは最初にただの子供を分ける場所を作ってしまったことですよね。分ければ差別は生まれるものなのですから。

もうこんなことわかりきっていることなんでしょうけど、余計なコメントさせてもらいました。

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