「自己肯定感」とか「自尊感情」という言葉を初めて聞いたのはいつごろだっただろう?
記憶にあるのは、北村年子さん、森田ゆりさん、芹沢俊介さんの本です。
そこでは、その言葉で語られる中身をそのまま大切なものとして受けとめることができました。
ところがある時期から、「就学相談会」でその言葉を聞くことが多くなり、その言葉の使い方を疑問に思うことが増えました。
相談会に参加した人たちが判で押したように口にするようになった言葉。
「障害児が普通学級に行くと、自分だけできないことで自信をなくし、自己肯定感が育ちません、自尊感情が持てませんよ。と言われたのですが…」
統合教育に反対の人は、親を説得するために自信をもってこの言葉を使うようになりました。
実際、親はこの言葉にとても弱いところがあります。
勉強ができないことや言葉の遅れは、受けとめられる…。
みんなと同じように走ったりできないことは、受けとめられる…。
だけど、「自己肯定感が持てなくなりますよ」と言われると、それは受けとめがたい。
「自尊感情が育ちませんよ」と言われれば、それじゃ普通学級に行く意味がないと感じます。
そこへ、「少人数」で同じように「できない」子だけを集めた教室に行けば安心ですよと言う言葉が続きます。
「特別支援の場で、少しずつ《できた》という体験、《わかった》という体験をすることで子どもは自信を持ち、自己肯定感が持てるようになりますよ」…と。
その「就学指導」はとても効果的なようです。
いまの「特別支援教育」の繁盛ぶりを見ればよくわかります。
◇
でも、それは本当でしょうか?
「できないことがあると、子どもは自信をなくし、自己肯定感がもてない」
もし、それが誰でもの「真実」なら、私がこの三十年の間に出会ってきた「普通学級の障害児」たちは、どうしてあんなに学校が大好きでいられたのだろう。
「分からない授業を45分聞いているのは辛いだけで、かわいそう」
もし、それが誰でもの「真実」なら、小学校も中学校もオール1の通知表をもらいながらも、楽しそうにそして何より充実した顔で学校に通えていたのだろう。
その上、中学よりももっと難しくて分からない「授業」ばかりのはずの高校へも、自分の意思で進み、毎日休まず通い続ける子どもたちがいるのはどうしてだろう。
私が「普通学級」に行くことを応援するのは、普通学級(普通高校)での生活こそが、子どもたちに無条件の「自己肯定」をあげられると思うからです。
自分にも「できた」という体験をする子どもの喜びは私にも分かります。
でも、「できる」自分、「わかる」自分だけが「評価」される所で、本当の「自己肯定」「自分自身を大切に思う気持ち」が育つでしょうか。
◇
「自己肯定」とは、いつもいまの自分・その時々にいまある自分という存在を、自分で受けとめる、ということであって、「できる自分」「成功する自分」だけを認めることではありません。
まして、人よりできる自分、人並みにできる自分を、人と比べて安心することと「自己肯定」は別のものです。
人より「できること」に自信を持つのは悪い事ではありません。
人と比べて、一番できることは、「自信」になるのも本当でしょう。
それは「自分の個性・特技・興味関心」として大切なことであって、それがうまくできない人や自分を否定するものではありません。
サッカーが上手いこと、算数が得意なこと、絵が上手いこと、読書が好きなこと、そうした「できる」自信を、子どもが育むためには、それ以前に「自分がただ自分として受けとめられ、安心していることのできる家があり、学校があり、地域があることが大前提なはずなのです。
「できる自分」、「できない自分」、「する自分」「しない自分」、その時々の自分をまるごと受けとめてくれる生きる場が揺らがないこと。
そのために必要なのが、いまの自分の姿がまるごと受けとめられる「居場所」と受けとめてくれる「人」であり、子どもには家族とともに子ども集団が必要なのです。
たとえば、集団で失くした自信は、個人の「できる」だけで取り戻すことはできません。
集団で失くしたものは、「個の遅れやできなさ」のせいではありません。
そこでは、自分のありのままの姿=存在が受けとめてもらえなかったという自信のなくした方をすることがあるからです。
それは、大人の側の「子どもを受けとめる力」の不足であり、「学校」「社会」の受けとめる力の問題です。
生まれた地域=「所属するまでもなく・そこに当たり前にある所属」をなくすことで失った自信は、自分の居場所がある地域を取り戻すなかで取り戻すしかありまえん。
◇
【絆があったから、生きられた】
5月24日朝日新聞に、宮城の中学生の話が載っています。
ここには、「自己肯定」のためには、「自己の能力」の話以前に、自分を丸ごと支えてくれている「絆」が大前提にあるということだと、私は感じます。
【2011年秋。宮城県女川町の女川第一中の1年2組は、社会の授業で班ごとに話し合っていた。
議題は「津波の被害を最小限にする対策案を考えよう」
千葉洸星君(14)や阿部麗さん(14)たちの4人の班では、「避難訓練をすればいい」とまとまった。
阿部一彦教諭(47)が問いかけた。
「逃げない人はどうすればいい?」
「震度5以上は逃げるという町の決まりをつくろう」
阿部教諭がまた突っ込む。
「それでも逃げない人は」
「……」
4人は放課後も集まった。
「みんなで呼びかけて逃げる」との意見が出た。
洸星君は「呼びかけるには絆が重要だ」と言った。
麗さんが「もっとコミュニケーションが必要。『近所で知らない人はいないくらい』になったらいい」と応じた。
班ごとの発表の日。洸星君が自分たちの考えを話した。
「なんで絆なんだ」と阿部教諭に聞かれ、こう答えた。
「自分たちが助かったのも、そのあと生きられたのも、絆があったからです。避難中、大人たちは自分たちの飲み物や食べ物を子どもに分けてくれた。だから津波対策には『絆』が必要なんです」
ほぼ1年かけて練り上げた対策は、①助け合えるように絆を深める ②高台への避難路を整備する。 ③震災の記録を残す 。
阿部教諭は②や③に生徒を導こうと考えていたが、絆という発想はなかった。
「洸星君の話を聞きながら、教師である自分も一人の生徒になっていた」
洸星君は「みんな、いつもはあんまり発言しないのに、対策の話になると、すごい。それだけ考えさせられることだったのかな。あの11日というのは」。
彼自身、2年生の最後の授業で、対策への思いを書いた作文は、400時詰め原稿用紙11枚に及んだ。あの日、耳にした津波の音、壊れる町の光景。次の日に泥まみれで迎えにきた母へ、強がって口にできなかった「生きててありがとう」……。
この対策を「一生かけてでも続ける」と話す。
「どこかでまた絶対に自然災害は起きる。その時に一人でも救えるように」
(小野智美)】
(朝日新聞2013年5月25日)
◇
ここで語られている「絆」に、能力や障害で分ける発想はありません。
ここで語られている「コミュニケーションが必要」に、能力や障害で分ける発想はありません。
同じ町で暮らす人すべてを仲間として救いたい、という思い。
それは、自分がただこの町の子どもであることで命を、存在を守られた、という実感からの言葉なのだと思います。
その無条件の守られ方=受けとめられ方があって初めて、自分は守られる大切な存在なのだ、自分はまるごと受けとめられているという安心が生まれ、その自分を自分で大切に思い、自分で受けとめることができるのだと私は思います。
「絆があったから、生きられた」であって、「自分に生き延びる能力があったから、生きられた」ではありません。
私たちが子どもに感じてほしい「自己肯定」は、「できることがあるから、肯定できる自分」ではなく、「絆がある、だから肯定できる自分」です。
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