ワニなつノート

≪受けとめられ体験≫から≪受けとめあい体験≫へ




この4ヶ月ほど、『受けとめられ体験』について、
ずっと考えてきました。

「親子になる」とはどういうことか。
それを、「里親と里子」という関係から考える
「受けとめられ体験」という視点は、とても刺激的でした。

障害、不登校、非行、病気、虐待、いじめ、暴力、性虐待、親の自殺…。
特殊学級、情緒障害児学級、児童相談所、養護施設、
「適応」教室、定時制高校、児童自立支援ホーム。
私は、それぞれの場所で、それぞれの問題を抱えて
苦しんでいる子どもと出会ってきました。

そこで出会ってきた子どもたちとの関係を、
「受けとめられ体験」という見方を通して考えると、
何かとても大切なことが、一つの線でつながる感じがしました。

そのことを、ちゃんと言葉にしたくて、ずっと考えてきました。
おかげで、コウタのことやホシノ君のことや、
授業中に化粧ばかりしてた女の子のことや、
たくさんのことを感じなおすことができました。

そして、障害をもつふつうの子どもが「普通学級で過ごすこと」が、
どれほど大切なことかを改めて考えることができました。
それを、なんとか言葉にしようと試みてみましたが、
なかなかうまくまとめることができずにいました。

「みつこさんの右手」も「受けとめられ関係障害」というテーマも、
どれも続きが書けずに、メモばかりが溜まっていきました。

そんなとき、ふと昔書いた娘の文章をみつけて、
ブログに載せてみたのでした。

ところが、自分では分かって書いたつもりの文章を読み直して、
とても大切なことに気づきました。

「受けとめられ体験」を考えている時、
わたしは娘を十分に「受けとめてきた」と、自信をもっていました。
だから、Niiの連載も、「受けとめられ体験」をした娘の
日記のようなもののはずでした。

ところが、ブログに載せるために、何度も当時の文章を読んでいるうち、
それは「受けとめられ体験」ではないことに気がついたのです。

娘が体験してきたのは、「受けとめ合い体験」だったのです。

私が娘を「受けとめて」、
娘は私に「受けとめられた」のではありませんでした。

私と娘は、いつもお互いに「受けとめ合い体験」を生きてきたのでした。

だから、「受けとめられ体験」として書いてきた「コータ」の話も、
わたしの中で、「受けとめられ」の比重が変りました。

受けとめられ体験をしたのは「コータ」だけではありません。
むしろ、わたしが先にコータに受けとめられていたのでした。

コータを嫌いだった私の態度を、彼の方が見放さずにいてくれて、
こいつはちょっとは見込みがありそうだと、
コータの方から、私を受けとめてくれて、
「おれもいい人になれるかな」と、私を「いい人」と受けとめてくれて、
そうしてようやく、私のゆうたへの偏見とこだわりが溶けて、
少しだけ、コータを受けとめられる自分になれたのです。

『おれはあんたを「いい人」だと認めて、受けとめるから、
あんたもおれを受けとめてくれよ』
私は、そう言われていたのだったと思います。

子どもに受けとめられて、
私もそれに少しは応えなきゃと努力してみたのでした。

コータのおかげで、私はコータとの「受けとめあい体験」を体験し、
感じることができたのでした。

大切なのは、無力な子ども、かわいそうな子どもが、
ただ「受けとめられる」ことではなく、
お互いが、少しづつ折り合って、せめぎあって、
「受けとめあう」ことだったのです。

そのことに、気づいてから、
今まで私が書いてきた「受けとめられ体験」は、
すべて「受けとめ合い体験」として
考え直さないといけないと思いました。

という訳で、しばらくは「受けとめられ体験」から
「受けとめ合い体験」を考えてみたいと思います。

コメント一覧

ヤスハハ
なるほど~(@_@)
ヤスと私もそんな関係でここまできた気がしました。

今でもせめぎあってて、皆様にお世話になってますが
<(_ _)>
そうなんですよね、親とそれができれば、学校、社会でも関係をつくっていけるんだろうなと思いますが...

障害児だけでなくて、うちの場合、妹の育ちにも通じる気がします。どの子も一緒なんですね。
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