鉢植えの自信(その1)
「鉢植えの自信」という言葉は、私の造語です。
私の中では、去年の「ワニなつ流行語大賞」の一つです(^_-)-☆
ちゃんと書こう、ちゃんと書こうと大事にしてきましたが、
いつまでたってもちゃんと書けないので、
とりあえず、何度も書いてみます。
材料は、過去のブログの、べてるの「自信の根拠」と、
木村さんの「リンゴ」の話と、「膨大な量の観察学習」と、
HalとNaoちゃんとやっちゃんとHideと…。
その辺を全部鍋に入れて、焦がさないようにじっくりかきまぜると
「鉢植えの自信」のイメージが浮かびます。
まずは木が育つイメージです。
土の上に伸びていく茎や幹や枝や葉のように目に見えるものが、
「言葉」や「学力」、「音楽やスポーツの技能」であるとしたら、
それを支えているものが土の中の根です。
土の中に根をのばし、「自信の根拠」となるもの。
それが、「人とありのままでつながって実感」と
「自分が自分を助ける主人公になること」と言えます。
土の中には、暖かく、静かに、身を休める居場所があります。
つまづいたとき、失敗したとき、うまくいかないときには、
そこに帰って、心を休める場所。
その場所があるから、また前を向いてがんばることが
できるような場所と、場所の記憶。
それを失って戸惑っているのが、たとえばべてるの人たちや、
不登校の子どもたちであるともいえます。
地域の普通学級で学ぶということは、どういうことなのか。
なぜそれが基本として大事なことだと考えるのか。
「人とありのままでつながっている実感」を、
小学校6年という時間をかけて手に入れることができるからです。
本人の意思を無視して、仲間から分けることをしないだけで、
子どもの「自信の根拠の根」を土の中に育てているのです。
「自分が6年かけた時間」は、「仲間も6年かけた時間」と
「同じ時間」であり、同じ学校、同じ教室で過ごした者同士の
帰属感を手に入れています。
それはかけがえのない大切な宝物なのでした。
統合失調症という病気の人の「幻聴」が、
現実の声か幻聴なのか、それを聞き分けるために必要なものが、
「自信の根拠」だと当事者の人たちが言うとき、
特別支援の場に引っこ抜かれることはは、
それだけで大切なものを失っていることになります。
そのことはまた社会参加とか社会生活にとっての
一番のハンディになっています。
逆に、普通学級で当たり前に過ごした場合には、
私たちはそこで何を身につけたか、
そこでどんなに大切な宝物を手に入れたのかに気づいていません。
そこでどれほど膨大な量の観察学習をし、どれほどの根を、
仲間と同じ大地に張り伸ばしてきたかを知りません。
「一人の人間として尊重されている実感」は、
一対一でも感じることはできます。
でも肝心なことはそれを仲間集団のなかで手に入れることでした。
つまり「人と人との現実的なつながり感」と
「一人の人間として尊重されている」実感を
伴った具体的な人間関係(同じクラス、同じ授業、同級生)の
成否がもっとも重要な基盤となるのです。
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