《はじめてのほいくえん》(さきちゃんエピソード2)
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明日もみんなに会える、保育園は毎日ある、そのことが腑に落ちるようになって、「帰りたくない」と泣かなくなった。
と思ったら、いつの間にか、他のお母さんたちに親しそうに話しかけるようになっている。
しかも、「〇ちゃんのお母さん」「△くんのママ」「□ちゃんのお父さん」と、誰が誰の保護者か、わかって話しかけている。私だってまだよく分からないのに。私より早く、みんなの親子関係を把握している。これって何?
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朝、お母さんと離れたくなくて泣く子もいるだろう。夕方になり、誰かが帰れば、「早く迎えにきてほしい」子もたくさんいるだろう。友だちと楽しく遊んでいても、お母さんの姿をみたとたん、みんな「お母さんの子ども」に戻る。
保育園という場所では、その「つながり」がとても大事な「安全の手がかり」として、子どもたちの目にははっきりと見えているのかな。
誰もが、みんな、男の子も女の子も、「誰か、お母さんの子ども」だということ。大切にされ生まれてきた私たち。つながりの安全の中で暮らす、同じ子どもである私たち。
互いにつながりあうように配線されている私たち。同じ、同じ、同じ、同じ、みんな同じだね、という納得と実感。みんな、同じ、「つながりの安全」のなかにいる。
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はじめてのほいくえん。朝夕、この子の目に、一番大事なものとして飛び込んでいたのは、「つながりの安全」だったのだと、今ならよく分かる。
でもなぁ、この子はずっと遊んでいたいから、私に来てもらっては困ると思っていたんだろうか。面白い子。
「障害」って何だろう? ダウン症って何だろう?
この子は、ただの私の子どもだと、子どもたちのつながりのなかで私は教えてもらった。
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【写真:仲村伊織】