《中間まとめ》A
「できない」ことで、ふつう学級から分けられる子どもたちとつきあってきた。また「虐待や貧困」によって家族から分けられた子どもたちとつきあってきた。
そこで「生きづらさ」の元は同じだと感じてきた。その答えが、「はじめてのおつかい」にはみえる気がする。
では、「はじめてのおつかい」とは何だったか? そこでは何が起きていたのか? 私たちは、そこに何を見ていたのか? その「中間まとめ」をしておきたい。
(A=その子にとって。B=親にとって。C=地域の人たちにとって。D視聴者にとって。)
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【A】《その子にとって》
それまで親と一緒に包まれていた、「つながりの世界」にはじめて、自分ひとりで向かう。「つながりの安全」を自分の身体で感じる。そうして、「向かい合うものに応じて、自分を意識する仕方が変わる」体験をする。
また、それは誰のためにやり遂げるのか。
「おつかい」は自分のため、ではない。お母さん、お父さんを「助ける」ためである。同時に、それを「成し遂げることができる」と、自分を信じて見守り待ってくれる人の思いに応えるため、でもある。そこに、子どもの《やり遂げる意思》=《勇者の本能》が目覚める。
それはまた、「自分で自分を守ることができる」という覚悟を育てることであり、ときには妹を、弟を守る「勇者」として体験もある。自分を信じて待っていてくれる「親の信頼」に応える自分。
「待ってろよ。いま、助けに行く。ぼくこそが救援隊長だ」というサンテグジュペリの声が聴こえる。
(つづく)
【写真:仲村伊織】