昨日は友人の命日だった。彼の実家に行き、就学相談会の報告をした。
彼も亡くなるまでずっと、幼い子どもたちを気にかけていた。
自分と「同じ思い」をさせないようにと願い続けた。
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彼が養護学校からふつう学級への一歩を踏み出したのは8歳のとき。
その「事件」は、私に「分けられた8歳の記憶」を蘇らせた。
私たちはお互いの中の「8歳の子ども」の思いでつながった。
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「障害児の高校進学」の運動を始めたのも、初めてのRONINも、彼だった。
一浪し高校生になった彼と二人で旅行やキャンプに行った。
駅にエレベーターはなく、キャンプ場のトイレは和式・汲取式だった。
二人で銭湯にも行ったが、スロープも手すりもなかったあのころ、どうやって二人で動いたのか、全然覚えていない。
ただ脱衣所やふろ場の床に、裸のまま転がっている彼の姿は今も目に浮かぶ。
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彼がいなくなって24年。
昔は、彼の好きだった向日葵の花を探すのに苦労したが、今は9月でも向日葵がたくさんある。
そして、いつのころからか、花束は二つになった。
彼の命日は、彼の母親の誕生日と重なっていたから。
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昨日、ふと思った。
《ああ、こういう作戦だったのか。康治はいまも私の手をかりて、誕生日の母親に花を贈り続けているんだな。》