ワニなつノート

「インクル」と「フルインクル」(その7)


「インクル」と「フルインクル」(その7)


《山田真さん》


このタイトルで書きはじめたものが、途中のままになっています。
たまたま、他の原稿を探しているうちに、続きのメモを見つけました(o|o)

で、それを載せる前に、このタイトルのきっかけになった、山田真さんの講演記録から、特別支援教育についての部分を紹介します。

31日の講演会は、「医療的ケア」の話なので、これらの話はでないかもしれませんので。

18ページ分を3ページに、思い切り要約です(・。・;


タイトルは『特別支援教育を討つ』(*^^)v

   □    ■    □


私は障害を持った娘がおりまして35になります。
東京で普通学級へ行って、高校へ。
普通高校へ入るのに3年かかりましたが、
都立の全日制に入り、1年生を4回、2年生と3年生を1回ずつ、6年高校にいて、正規に卒業しました。

いま、世田谷のアパートで24時間介助がついて、一人暮らしをしています。


【特別支援教育】


特別支援教育ができる、二つの理由・きっかけがあったと思います。

一つは、日本の特殊教育そのものが、かなり時代遅れになったということ。

とりわけ世界的に見て、養護学校的なものは、どんどんなくなりつつある。

地理的に離れた場所で教育するというのはもう時代遅れ…。

もうひとつ、いわゆる発達障害と言われる子どもの親たちから、子どもたちに対して、特別なことをしてくれという要求が非常に強くなったということです。



【インクルージョン】


堀さんは、フィンランドでは、「重度の障害を持っている子どもは、鍵付きの部屋に入っていました」と一言言われた。

本当に重い子どもたちについては除外されている、という状態。

同じ学校の中にはいますが、重い子どもたちは、イタリアやレソト以外のほとんどの国で行われているインクルーシヴ教育では、全部、別の部屋で勉強している。

……

基本的には知的障害の人でも絶対伸びるはずだし、伸びなきゃいけないのだから、教育的配慮をするというのが、知的障害の人に対する教育的ニーズです。


問題はここです。


これをやるのに、まず諸外国で考えられているのが、カリキュラムの変更から始まるわけです。

今のカリキュラムだと、健常な子どもは理解できるかもしれないが、障害を持っている子は理解できないかもしれないから見直して、障害を持っている子も理解できるようなカリキュラムに変えるということですが、これはほとんど不可能ですね。



結局、それはできないから、分けることになったっていうのが、どの本を見ても結論的には、そうなっている。


だから、アメリカにはリソースルームっていう部屋があります。
籍は普通学級にあります。

私たちはずっとこれを「取り出し」とか「抽出」と言って、拒否してきた歴史があります。

取り出されるのは、結局同じ教室にいても、いないのと同じだと言っていました。

おそらく、日本のように、就学判定委員会のようなところで、普通学級ダメって言われたのに、がんばって入っている人って、外国ではほとんどいないのではないか。

ほとんどしゃべらないし、字も書かないというような障害を持った子どもが高校にいるなんてことは、ひょっとすると日本以外の国ではないんじゃないか。



フルインクルージョンというのは、結局、とくに私たちは重い障害というか、学校からみれば、
「この子が普通学級にいる理由が分からない」と言われるような子どもたちについてどうするか、と考えてきた歴史がある。


そういうことは世界的に見てもあまり考えられてこなかった。


【特別な宝物】


「青い芝の会」や初期の「全障連」という障害者の組織がやったことというのは、世界にも類をみない。

いま、ピープルファーストと言われて、障害者が声を出すということになっていますが、人の前で意見が言えて、文章も書けたりするくらいの、割合軽い障害の人たちがものを言っているのであって、日本のような重度の障害者がむちゃくちゃな要求を掲げて運動したということはないのではないかと言われています。

そういう意味で言えば、どの子も普通学級へと言って、どんな重度であっても普通学級へ行くんだとがんばってきた運動というのは、ひょっとすると日本の特別な宝物のようなものであったかもしれないと思う。


【フル・インクルージョン】


『特別支援教育』(ウイリアム・L・ヒューワード著 明石書店)では、著者はインクルージョンの立場から、フル・インクルージョンを批判しています。

「インクルージョン教育では、すべての子どもを通常学級に入れて、すべての子どもをカバーできるような、つまりすべての子どものニーズにこたえるような授業を工夫しようとする。

しかしそれには限界がある。

子どもたちには学力差があり、そのピンからキリまでの学力に対応する形で自分の授業の仕方を変えられる教師はほとんどいない。

フル・インクルージョン主義者と違って、インクルージョン主義者は、子どもたちが授業面で、適切な学習指導を受けられるかどうかに大きな関心を持っているから、リソースルームや、分離学級や、さらには特殊教育諸学校において満たされる可能性が最も高いとすれば、そこでの教育を否定しない。」


つまり、インクルージョン主義は、分離教育を否定しないのです。


「すべての子どもたちに適切な学習指導を」ということを、優先して考えるインクルージョン主義教育は、重い障害の子どもを、普通学級から排除する。

そこで、それに反対する、フル・インクルージョン主義が出てくるわけです。


「フル・インクルージョン主義者(完全統合主義者)は、教師の第一の職務は、障害のある子どもたちが、障害のない人たちと友だちになることができるように支援することであると、信じている。

その上、教師は、次のことをしなければならない。

① 普通に発達している子どもたちを支援して、障害についての固定的な概念を修正させる。

② 障害のある子どもたちを支援して、子どもたちが知り合いや、職場の同僚や、家族のメンバーや、友人などとの幅広いネットワークの中で、より効果的に交流できるように、社会的スキルを開発する。
 
友だち作りや態度の変化や、社会的スキルの発達は、通常学級の中でしか起こり得ない。

理由は簡単である。

これらの目標を達成するためには、年齢相応の障害のない子どもたちが存在しなければならないからである。

そう、フル・インクルージョン主義者は主張する。

フル・インクルージョン主義者さらに、特別なニーズをもつ子どもたちを、通常学級に措置することは、フルタイムでなければならないと主張する。」


長くなるので、後は省略しますが、フル・インクルージョン主義の人たちが言っていることは、
正しいとぼくは思いますし、ぼくはインクルージョン主義に反対し、フル・インクルージョン主義に賛同したいのです。



『神奈川「障害児」の高校入学を実現する会』より転載。
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