ワニなつノート

委ねる力(3)

委ねる力(3)

「強さ」と見えるものの中身は、
本当は「委ねる力」なのだと思います。

つい「力」という言葉を使ってしまいますが、
それは「強さ」を競うものではありません。

「かわいい子にはふつう学級を旅させよ」
そのために必要なのは、子どもの能力ではありません。
それは親の委ねる姿勢です。

委ねることで、子どもが自分で成長していくことを見守ること。
親の言葉で子どもを理解してもらうのではなく、
子どもを委ねることで、相手の理解を待つこと。
それができるかどうかは、子どもの人生に関わってきます。

子どもが自らを「委ねる」ことを、恥ずかしいことや、
迷惑なことと間違わないために、親にできることは、
子どもを人に委ねることです。

社会の中で生きる子どもの成長は、
委ねられたところから始まります。

それは特別なことではありません。
保育園に子どもを預けること。
学校に子どもを通わせること。
誰もがふつうに委ねていることです。

「かわいい子には旅をさせよ」
それは、かわいい子どもを心配しながらも、
子どもが旅先で出会う人々を信頼し、
委ねることを伝えているのだと思います。


では、「特別支援学校」に子どもを
委ねているのだと、言えるでしょうか。
言葉の上ではそうなります。

でも、それはやはり、
かわいい子に、一人で旅をさせず、
お供の者をたくさんつけて旅に出すことのように、
私には思えます。

「こんな落ち着きのない子を、
どうして普通学級に任せるができるだろうか、
私にはできない。
この子専属の支援員がつくのならまだしも…。
私はそんなに強くない。」
だから、「特別な場」を選ぶという人が
少なくないと思うからです。

それは、「強くない」のではなく、
ふつうの子どもとして委ねることが
できないのだと、私は思います。

子どもを普通学級に入れている母親は、
少しも強くなどありません。

入学の時の不安や、問題が起きたときだけでなく、
何事もなく順調に過ぎている時間のなかにさえ、
「普通学級」にいるだけで張り詰める圧力があることを、
私は感じ続けてきました。

それは、何気ない言葉の端に現れます。
「ワニのなつやすみ」NO76に、
Naoちゃんの原稿があります。

そこには、夕方一人で帰ってくるNaoちゃんを、
同級生の男の子が家まで送ってくれたという、
ただそれだけの話です。

「ナカジくんって優しいね~」というお母さんに、
Naoちゃんは答えます。
「…えっ?ナカジよりマジマ君の方が優しいよ」

極めて冷静なNaoちゃんをよそに、
娘が初めて彼氏を家に連れてきたかのように
盛り上がるNaoちゃんママは、手記の最後にこう書いています。

『きっと、Naoにとっては特別なことでも何でもないんだね。
Naoが1人で帰ってくるようになったからこそ、
こんな素敵な場面に遭遇することができました。
決して大げさじゃなく、
「私はこのエピソードがあれば生きていける!」とさえ思えた、
と~っても嬉しい出来事でした。』

私にも、その思いが少しも大げさでないのが分かります。

そして、それが大げさでないということが、
ただ普通学級にいることが、
どれほどの緊張を親に強いているかを表しています。

ふだんは目には見えず、
肌にも感じないようなものかもしれないけれど、
「本来、ここにいるべきでないとされる社会の常識」に対して、
「親の思い」だけで、
子どもの当たり前の生活を守っている現実が、
そこにはあります。

普通学級に通わせること。
それは、絶対に「強い」親だからできるのではありません。

強い親は、たかが同級生の男の子が、
家まで送ってきてくれたくらいで、
「このエピソードがあれば生きていける!」
などとは思いません。

心配や不安や泣きたい思いを抱えながら、
みんなと一緒にいたいという子どもの気持ちを守るために、
せいいっぱい人を信じ、人に委ねているからこそ、
人を信じられるエピソード、
子どもを信じられるエピソードに、
いつも救われているのです。
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