障害のあることは
子どもが 子どもであることを
少しも「障害」しない
他の誰でもない
この子が この子であることを
まったく邪魔しない
邪魔しないどころか
私たちが「障害」に縛られていなければ
だれよりも 自分であることを
力強く生きている いのちの
確かさが みえる
私がいま正直に感じている「障害児」とは誰かといえば、ただ、子どもらしい子ども、だと言うしかありません。
少なくとも私が出会った「障害児」と呼ばれる子どもは、一人残らずそうでした。
過去の特殊教育か統合教育かという問いに足りなかったのは、その前提である学校を問うことでした。
障害児のためだけに作られた養護学校と、障害児の存在をいないこととして作られてきた普通学校と、その貧しい二つの学校を前提にしてきたことでした。
どちらを選ぶにしても、「障害」という焦点は同じです。
「教育」を子どもの真ん中に置いて話が進められてくるなかで、「障害の軽減」に焦点があてられるあまり、「子ども時代を生きる」というトータルなケアの視点と、社会的存在としての子ども体験という側面が軽視されてきました。
たとえば、「しつけができてない」「わがまま」とみられる子どもの、その行動の意味が汲み取られることはありません。
また、子どもの「苦労」など、取るに足らないもので、子どもなんだからそのうち忘れるだろう。それよりも「将来のこと」が言われてきました。
子どもなんだから、「そんなに深い考えはない、深い悩みはない、深い苦しみはない」それこそが、社会の「赤ちゃん扱い」の中身でした。
でも、それは違います。
そうした、「子ども扱い」(子ども差別)は、障害のある子どもの問題ではなく、すべての子どもの問題としてあります。
たあ、その「子ども差別」自体が、まだこの社会では理解されていないのですから、障害児はさらに大変です。
障害のある子が、苦労してきた中身は、「障害」があること以上に、「体験としての障害」に、なんの配慮も考慮もされてこなかったことです。
生まれながらの障害の場合、たとえばダウン症であることは、その子にとって、「マイナス」や「障害」ではありません。(ここでは命に係わる心臓の病気等は脇に置きます)
その子が、生きていく、育っていくなかで、自分がダウン症という障害があることを、「体験」すること、そのことが、その子にとっての「障害体験」であり、その子にとっての「ダウン症」という「障害」の意味を作ります。
特別支援学校と普通学級の一番の違いは、「教育の中身」や「教育の効果」ではありません。
その子の人生のなかで、子ども時代を通して、自分自身で実感する「障害体験」と、そこから生じる「障害観」と「障害感」です。
聞こえないこと。
見えないこと。
盲ろうであること。
歩けないこと。
呼吸器をつけていること。
同じ障害でも、その「障害」が、自分の体験に対して、どれほどの「障害」になるかは、その人の「主観的」な「体験」によって、まったく違う「障害観」が形作られます。
たとえば、「耳の聞こえない」赤ちゃんが生まれるとき、多くの人は、「かわいそう」、「どうしよう」「どうなるの」と不安に包まれるでしょう。
でも、両親が「聞こえない」夫婦であれば、そうした根拠のない不安はありません。不安があるとすれば、親自身が差別されてきた社会への「不信」によるものでしょう。
目の見えない子どもをかわいそうと言う人も、スティーヴィー・ワンダー辻井信行さんのような人たちにはそうは思えないでしょう。単に「天才」だから、といったことではないと思うのです。そこでは、「自分のできることをせいいっぱい生きること」を、障害は邪魔しない、という部分があるからだと思います。
しかし、「知的障害」となると、また違う壁がそびえます。
(このあたりのことは、一人一人の障害と体験、を丁寧に積み上げなければ、伝わりにくいと思いますが、私の手にあまる作業なのでとりあえず棚におきます。)
私たちが、人生を振り返るとき、「できる=成功」によって手に入れた価値がある、と同時に、特に「成功」というほどのことでなく、ただ「体験」してきたけれど、その体験の積み重ねなしには今の自分はここにいない、という価値を思い起こします。
「体験価値」を、誰もが生きてきました。
「入学」や「好きになった子のこと」、「運動会」や「遠足」「修学旅行」の思い出。
また行事とは別の、日常の授業風景のなかの、自分だけの体験を、誰もが持っています。
そして、その体験は「わたしの体験」であると同時に、「わたし・たち・の体験」としてもあります。
そうした限りなくある日常の「体験的価値」を、障害児たちは、あまり大切にされてきませんでした。
そんなことはないと、特殊教育の現場の人たちはいうでしょう。運動会も遠足も、学芸会も音楽発表会も、修学旅行もあると。
でも、それは「障害児だけ」の行事です。
私が、小学校の情緒障害児学級に勤めていた時、市の大ホールで開催される発表会がありました。クラス6人の子どもたちと演劇の練習をして、舞台に立ちました。でも、その日は平日の午前中で、同じ学校の普通学級の子どもたちは一人も見にこれませんでした。
ホールに集まったのは、市内の特学や養護学校の子どもと教師と保護者だけでした。
そこでは、特殊教育を進める大人の善意とは別に、「特殊体験価値」を生きさせていることにしかなっていません。
それは子どもに「障害」があるから、ではありません。
大人が、子どもたちを、分けたからです。
フランクルと言う人は、また「態度価値」ということを言います。
「人間が変えることのできない運命に対していかなる態度をとるか」にかかわる価値のことです。
フランクルはアウシュビッツから生き延びた人です。
人を人として扱わないことの究極の苦しみから、生還した人です。
フランクルは、「障害児教育」について語っているのではありません。
私も「障害児教育」について書いているのではありません。
私は、自分が大事にしてきたもの。
自分の子どもに大事にしてきたもの。
その一番大事にして生きてきたものを、すべての子どもに、同じように大事にしたいと願うだけです。
「人間が変えることのできない運命に対していかなる態度をとるか」。
6歳の障害のある子だったら、地域の普通学級で、クラスの一人としてのその子に出会いたいと願います。
15歳になったら、その子の高校生活を聞きたいと思います。
仕事につこうが、仕事がみつからなくても、施設ではなく、町の中で、その子の居場所をみつけて生きていけるようにと願います。
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