ワニなつノート

「向かう」を育てる(その3)

「向かう」を育てる(その3)

《人は「向かい合うもの」に応じて、「自分」を意識する仕方が変わる》


障害のある子どもが、「向かい合うもの」に応じて、意識する「自分」とはどういうものか?
障害のある子どもが、「向かい合うもの」に応じて、意識する「障害」とは何か?


いくつか思い出す場面があります。

【 『私たちのトビアス』という子どものための本がある。
障害児を理解するためにスゥエーデンでつくられた本である。
ダウン症のトビアスの兄と姉が書き、母親がまとめたものである。…

私も必要な本だとは思ったが、障害児が理解される側に立たされることに若干の抵抗を覚えた。特に、自分がかかわっている子どもたちの一人ひとりを考えると、ダウン症についてはこう説明できても、そうはできないハンディをもつ子もいる。
そのことが人権にかかわるような気もした。

しかし、多くの人がこの本でダウン症を理解しているとき、当のダウン症の子どもたちに見せないことがうしろめたく思われた。

ある日、思い切って三人のダウン症の子を含めて八人の生徒とこの本を読んだ。
ところが読み終わるや、ダウン症のH君が「トビアスどこ? トビアスどこ?」と言う。
他の子も一緒になって「トビアスどこ?」と言う。
そんなかわいそうな子がいるならいたわってやらなければなるまいが、いったいどこにいるだろうというのである。

私はそのかわいそうなトビアスがH君たちと同じだと、ついに言えなかった。

私が応じないので自分たちで結論を出した。
この学校、この学級にはトビアスはいない。
しかし、あの学校(Y養護学校)にはたくさんいると。  】 
 

『一緒がいいならなぜ分けた』 北村小夜 現代書館


「ダウン症」という名称が、ダウン症の人の「自分」を決めるのではありません。
その人を取り巻き、「向かい合う」人たちの関わり方こそが、その子の「自分という意識」を左右するのです。

H君がいたのは特殊学級であり、その時代を考えれば、H君のまわりに多くの差別があふれていたでしょう。それでも、H君自身は、自分を「一方的に理解されるだけの、かわいそうなダウン症の子」とは意識していないのです。
「そのかわいそうなトビアスがH君たちと同じ」でないのは確かです。


         ★

《人は「向かい合うもの」に応じて、「自分」を意識する仕方が変わる》

親も「向かい合うもの」に応じて、「自分」を意識する仕方が変わります。
「子どもの障害」を受けとめる意識が変わります。
子どもの命を受けとめる意識さえ、「向かい合うもの」に応じて、変わるのです。

「個人」の能力によって、「向かい合うべき世界」に出会わせないようにするのは、やはりおかしな話だと思います。

【インフォームドコンセントの時代ですけれど、脳死・臓器移植を受けるときのインフォームドコンセントというのはどうなっているのかという問題があります。

誰がそこにかかわるかによって随分違うだろうと思います。

ダウン症の場合ですけれども、遺伝カウンセラーがダウン症の子どもの親である遺伝カウンセラーと、それからそうでない遺伝カウンセラーがカウンセリングした場合で、出生率に大きな差があります。
(遺伝カウンセラー自身が)ダウン症の子どもの親の場合には、ダウン症児を受胎した場合に5割以上が生みます。
通常の遺伝カウンセラーの場合は、9割までが堕胎するという結果があります。

この差が命の問題を考える場合に私には凄く大事なことではないかと思います。】

『心の病はこうしてつくられる』石川憲彦 批評社 2006年  
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