≪苦痛への適応≫(1)
子どもにとって「受けとめられること」が、どれほど大事なことか。
大人を試しているように見られる「試し行動」が、
本当は試しているのではなく、
むしろ「切実な、生存の根底にかかわる欲求のあらわれであること」
という理解の在り方を知ること。
そうしたことを、障害をもつふつうの子どもたちへの接し方として、
表現したいと思っているのだが、なかなかうまく書けないでいる。
今回は、「受けとめられること」の反対を考えてみたい。
◇「受けとめられること」の反対は、「苦痛への適応」を強いること。
受けとめられないままでも我慢して、
あなたを受けとめない社会(学校)のルールに合わせて生きていけということ。
そんなことはできない。
◇「差別をなくすこと」の反対は、「苦痛への適応」を強いること。
差別があっても、我慢して、
あなたを差別する社会(学校)のルールに合わせて生きていけということ。
そんなことはできない。
◇「分離の強制をしない」ことの反対は、「苦痛への適応」を強いること。
分離されても、我慢して、
あなたを分ける社会(学校)のルールに合わせて生きていけということ。
そんなことはできない。
◇「ありのままの自分を生きる」の反対は、「苦痛への適応」を強いること。
自分の興味や関心のないこと、
誰かに決められた課題を、がんばる自分に適応すること。
親や周囲に期待される自分を無理してがんばること。
そんなことはできない。
◇体罰も、「苦痛への適応」を強いること。
それを、しつけと言おうと、教育と言おうと、
文字通り力づくで「苦痛に適応」しろと命じることを、体罰という。
だから、問題は「ケガの程度」や叩かれた痛みそのものの問題というよりは、
力でかなわない大人の言うことを聞いて
「苦痛に適応」することこそが問題なのだ。
「適応」した子どもは、自分が力をもったとき、
暴力や体罰で、相手に自分への「適応」を要求するようになる。
◇ハンセン病の、宗教者の過ちも、「苦痛への適応」そのものだった。
入所者には隔離の現実を受け入れて、ここ一生を終えることこそが、
あなたたちにとって救いなのだと。
「隔離に抗うのではなく、受忍、受容、救済という意識へ導かれた結果、
入所者は内面に自ら囲いを作らされた。
隔離も試練へとすり替えられた。」
子どもは「受けとめられる」ために生まれてきた。
だから、子どもに「苦痛への適応」を強いてはいけない。
子どもたちに、分離を試練などといって、
「苦痛への適応」を強いてはいけない。
「苦痛」と「苦痛への適応」を強いることは違う。
子どもは苦痛に耐えることができる。
白血病のように、たとえ骨に針を刺されるという辛い治療でも、
幼い子どもたちはがんばることができる。
「苦痛への適応を強いる」こととは、
その治療の意味、痛みの意味を子どもに伝えず、
ただあなたのためだとごまかすこと。
その苦痛を認めず、ただ「苦痛に適応」させることが子どもを苦しめる。
体罰も、その体の痛みよりは、
暴力により屈服させられる苦痛に適応しろと迫られることが、屈辱なのだ。
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