ワニなつノート

「就学猶予」と「高校受験」(3)

「就学猶予」と「高校受験」(3)


「1年だけ。1年だけなら…、
この子のために待つことは、悪いことじゃないと思う。
この一年は、ただの一年じゃなくて、
この子にとって、とても意味のあることだと思うの。

4月2日に生まれた子と、4月1日に生まれた子は、
まるまる一年間も成長が違ってる。
4月に生まれた子が、歩き出して、しゃべりだした頃に、
3月の子どもは生まれてくる。

その上、未熟児で生まれたことも、
1歳で何回も手術や入院を繰り返したことも、
まったく関係なしに、ただ6歳になったら、
他の子と同じように入学させなきゃいけないなんて、
こうした子どもたちへの配慮がなさすぎるんじゃないかな。

やっと病気も落ち着いて、保育園に行きだして、
子どもたちのなかで遊んだり、笑ったり、
やっと子どもらしい生活が送れるようになったんだから。
あと一年、学校じゃなくて、
保育園の子どもたちの遊びのなかで生活させてあげたい。

1年遅らせるって言っても、もともと予定日より
半年も早く生まれてしまったのだから、
それはこの子の責任じゃないんだから、
本当なら、次の学年の子どもたちと
同級生になるはずだったんだから。」



      ☆     ☆     ☆     ☆


初めて、「この子の学校、どうしたらいいと思う?」
と聞かれたのは25年も前のことでした。
その子は、今年………31歳か~(・。・;

「普通学級がいいよ。絶対に、ふつうがいいよ。」
子どもの「お母さん」に、自分の思いを話したのは、
それが最初でした。

そのとき、私の拠り所だったのは、
その子と一緒に過ごした「年中クラス」での一年間と、
握りしめていった石川先生の本でした。


4歳の子どもたち30人のクラスでした。
私は週に2~3日のアルバイトの「お兄ちゃん先生」で、
ただ一日中、子どもたちと遊んでいるだけでした。
その中に、知ちゃんはいました。
知ちゃんは一年間、一言もしゃべりませんでした。
知ちゃんの声を聞くのは、泣き声くらいでした。

でも、子どもたちは、そこに知ちゃんが
いることが当たり前のことでした。
自分たちにとっても初めての「集団」だったので、
知ちゃんも、みんなも、初めてそこで出会い、
一緒に遊びながら、春夏秋冬の一年を過ごしました。


自分の保育園時代の記憶は、
廊下に立たされていたことばかりでした。
その先生は、私が嫌いだったのだと思います。
先生の顔も名前も雰囲気も、まったく記憶にありません。
私も大嫌いだったのだと思います。
だから、私にとって、そのクラスでの一年間は、
「自分の保育園時代」をやり直すことができた一年でした。

担任の先生は、本当に子どもが大好きな、優しい先生でした。
子どもを怒ることもなく、
子どもに関する愚痴を聞いた覚えもありません。
ただ、知ちゃんに対して、何にもしてあげられないことを
引け目に思っているらしく、
これでいいのかしらと、つぶやいたことがあります。

でも、わたしには、
知ちゃんも、みんなも、わたしも、
ただ「ここにいっしょにいる」ことが、
どんなに幸せかを感じていたので、
その「みんながいっしょにいるしあわせ」の場所、
「みんながいっしょにいる安心」の季節を、
守り続けること以上に大切なことはないと思えました。

いっしょに暮らしているから、
いっしょが当たり前になるのです。


      ☆


あれから、たくさんの子どもたちの
「入学前」に出会ってきました。

そのなかで、わたしが「猶予」と「通級」に
こだわっているのは、どうしてなのか。

私は、「特別支援学校」に行かせると確信している人に、
こうした話はしません。
ただ、「普通学級で、みんなといっしょに」と、
子どものことを思い願っているとしたら、
猶予や通級は、その願いを変形させてしまう
強い副作用があることを伝えたいと思うのです。

私がそのことを、どうしても伝えたいと思うのは、
それが「私の考え」だからではありません。
私がどんな子どもも6歳になったら、
同じ6歳の子どもたちのなかで、
いっしょにやっていけるはずだと思えるのは、
ゆうりちゃんとけいちゃんに出会えたからです。


ふたりとも保育園や幼稚園に通うことはできませんでした。
病院と家のなかで、一人で、
そしてお母さんや家族とひっそり静かに
6歳までの子ども時代を生きていました。

「6歳」と決められた法律の融通性のなさ。
それがいつもベストだとは思いません。
でも、「6歳」と決められた融通性のなさが、
小さな子どもをいつまでも抱いて守っていたいと願う
母親の背中を押してくれるのもまた事実でした。

けいちゃんのお母さんに初めて会った時、
けいちゃんには、すでに「養護学校」の
入学通知が届いていました。

お母さんは、けいちゃんにやさしく微笑みながら、
おだやかに言いました。
「この子は養護学校に通うこともできないかもしれない。
でも、養護学校なら、訪問の先生が家に来てくれるから、
それでも十分だと思う」


2月になって、けいちゃんに一枚の案内が届きます。
目の前にある小学校の「一日入学」の案内でした。
市教委が誤って送ってしまったのでしょう。
義務教育は「6歳」と決められた融通性のなさがくれた、
最高の贈り物への招待状でした。

お母さんは、せっかくだからと、
もしこの子が元気だったら行くはずだった小学校に、
もしこの子が元気だったら出会うはずだった友だちに会いに、
「一日入学」に出かけました。

その日のうちに、お母さんは、
その小学校の普通学級に行くことを決めました。

理由はひとつ。
病院では、「この子は目も見えないし、
音も聞こえない」といわれたけいちゃんが、
初めての学校で、
初めて出会うたくさんの子どもたちと出会い、
笑顔になったこと。
それだけでした。

それから一か月、
養護学校の入学通知をお返しし、
ふつうの小学校の入学通知をもらえたのは、
たしか4月1日のことでした(^.^)/~~~


学校は勉強するところ?
そんなことは、大人が勝手に決めたこと。
子どもにとって、学校は何より、人に出会うところです。
自分が生きていく社会で、
自分が生きていきたい道を探し、
自分の人生の仲間に出会うところです。


そして、ゆうりちゃんとけいちゃんの人生の仲間は、
まさに、そのクラスの6歳の仲間たちでした。
入学から一年後、ゆうりちゃんも、けいちゃんも、
6歳の入学のときと同じ桜の咲き乱れる季節に旅立ちました。
ゆうりちゃんにもけいちゃんにも、
猶予できる時間は1秒もありませんでした。

ゆうりちゃんとのお別れにきて、
家の前で一列に並んでいた子どもたちの姿が、
いまも目に焼きついています。

けいちゃんのお別れの日は、
2年生の始業式の前日でした。
「あした、学校に行ったら、どこに行けばいいのかな」
そんなことを話していた子どもたちの声が、
いまも耳に残っています。

6歳の子どもたちは、本当にすてきな子どもたちです。
その同じ6歳の子どもたちとの出会いを、猶予することは、
やはりなにかもったいとしか、わたしに思えないのだけれど、
そのことを、その子を産み守り育ててきたお母さんに、
どうしたら、責めるのではなく、伝えることができるんだろう。


☆     ☆     ☆     ☆


この子が生まれた日は、みんなと同じように大切な日。
たとえ、何かの事情で予定よりずっと早く生まれ、
そのことで子どもが苦労苦しても、
いま生き延びて、この子がいまここにいるのなら、
その日は、やはりこの子が生まれてきた大切な日。
この子に出会ったはじめの日。

だから、6歳になったその日には、
今のあなたのままで、他の子と同じスタート地点に立ち、
あなたはあなたの速さで歩いていくのよ、
他の子の速さに追いつかなければいけないわけじゃない。
あなたには、あなたのペースがあり、
誰にもそれぞれのペースがある。
大丈夫、あなたはあなたのペースで歩いていける。

できても、できなくてもいい。
勉強ができる方がいい、訳じゃない。
体力がなければないままで、
自分の子ども時代、学校生活をまっとうすればいい。

その肯定感を、親や兄弟、家族が認めてくれること。
学校の先生や友だちが、分かっていてくれること。
いまのあなたが、あなたのままでせいいっぱい生きていることを、
ありのまま受け止め、うなずいてくれる仲間との出会い。

それを、大切なものと考えるか、
そんな不確かなものを当てにはできないと感じ、
少しでも自分の力で、自分だけでやれる力をつけなければ、
この子が苦労することになるのだから…、と、
この子が個人でがんばることを応援するか。

猶予が必要と思われるほど、他の子どもよりも幼くても、
小さくても、頼りなくても、
それでも、6年間、せいいっぱい生きてきたことを、
受け止め、肯定すること。

その親の肯定する力が問われる場面が、
小学校の入学だと思うのです。
一番いい教育の場がどこかを
探す力が試されているのではありません。
「教育の場」を探すというのは、
家族の「外」に探しにいくことになります。

でも、一番「肯定」しなければならないのは、
「身内」として、家族として、
一緒に暮らした子どものいまの姿です。

子どもの希望、子どもの意欲、子どもの感情、
それを、ありのままに受け止め、うなずき、
そしてそれを、世界に認めさせる力を、
親は持っています。

すべてを実現できるかどうかではなく、
ただ、その子どもの真実の感情を、
親として子どもの希望をかなえてあげたいと、示し続けること。
その姿を通じて、確かに子どもに伝わるものがあることを、
私はずっと感じてきました。

(それは、「障害をもつふつうの子ども」の
兄弟の心配をするときにも、共通するものでした。)




PS:≪必然の出会い≫

そうそう、「普通学級がいいよ」と
初めて話したとき、握りしめていたのは、
石川先生の本だったと書きました。

「この子の、病院の先生もそう言うのよね。
でも…、その先生のいうとおりでいいのかな…。
いい先生なんだけど、なんか頼りないのよね…」

お母さんは、そんな感じで話していましたが、
その主治医が、石川先生だったのでした。(^。^)y-.。o○

こういうのって、偶然じゃなくて、
「必然の出会い」っていうんだろうな~(o|o)

偶然、同じ年に生まれた子どもたちと
6歳で集まり出会うのも、
必然の出会いなんだと思うんだ(^^)v
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