ワニなつノート

たっちゃんと呼ばれた日


《伝言板》
ありんこさん、aiさん、
コメントの返信がすぐにはできそうにないので、少し時間を下さい。
すぐに言葉にしてしまうと、この距離では、
うまく届かない気がします。
それと、日曜日に高校相談会があり、
そちらに気を取られて落ち着かないので…。


それでも誤解を承知でちょっとだけ書いちゃいます。
aiさん、中学は短いので、
どうやってもあっという間に終わってしまいます。
だからこそ、ゆっくり休みながら、いってください。

小学校時代のいろんな失敗やそこから学んだことを、
中学ではちゃんとやろうとしなくていいのだと思います。
極端にいえば、中学の1年は学校のひどさにつきあったとして、
それをゆっくり1年の終わりに、
問いかけるくらいの気持ちでもいいような気もするのです。

子どもたちはいい子がいっぱいいるようなので、
後は、3年間で、一人でも○くんの思いを、
その人自身の感性で分かってくれる先生に出会えれば上出来だと、
私は思っているところがあります。

お母さんが戦うよりも、
○くんが、1年生の間、試験を受けさせてもらえないとしても、
いろんな無理解や差別扱いを受けるにしても、
それでも○くんが誰かに「出会う」ことを信じて、
中学校なんか、ただその出会いの場として、利用する場所だと、
私は思うところがあります。

いま、深く考えず、そして、aiさんの学校の事情が、
9割がた見えないまま、しゃべっています。
こんど、ちゃんと時間のあるときに、思いを書きます。

ここ数日、ある作文を思い出していました。
作文の慎ちゃんは、先日の高校の集会に、
宮崎から飛んできてくれました。
3浪目です(>_<)

    □    □    □

≪中学校人権作文コンテスト・最優秀賞・法務大臣賞≫

たっちゃんと呼ばれた日

鈴木達三


 「たっちゃん。」
 慎ちゃんが初めてぼくを呼んだ。
中学へ入学してから約三ヶ月、ぼくは毎日、
慎ちゃんの手を慎ちゃんの胸にあて「慎ちゃん。」と言い、
次に慎ちゃんの手をぼくの胸にあて「たっちゃん。」と言う。

この同じ動作をくり返してきた。
慎ちゃんは次第に、ぼくと一緒に「慎ちゃん、たっちゃん」と
言うようになり、そして今日、ついにぼくがいつもの様に手を握ると、
「たっちゃん。」 慎ちゃんは確かにぼくの名前を呼んだ。

ぼくは六年生の三学期に転校してきた。
そのクラスに慎ちゃんがいた。
慎ちゃんは時折興奮していきなり大きな声を出し、
誰かまわず手でたたき、物を投げ、
その後、両手を頭の横にピタッとつけ、
何かにおびえるようにぶるぶると震え出す。

障害のある子と同じクラスに初めてなったぼくは驚き、
嫌悪感さえおぼえた。

しかし、そんな時、担任の先生がそっと慎ちゃんに近づいて、
慎ちゃんをぎゅっと抱きしめる。
すると慎ちゃんはリラックスし、
またいつもの陽気な慎ちゃんに戻るのだ。
 
さらにここは友達を差別するにおいは全くなく、
それどころか放課後にはクラスの大半の子が、
必ず慎ちゃんの席のまわりに集まって、
慎ちゃんを中心としたやわらかな輪が自然にできる。

転校生だったぼくも慎ちゃんの輪に入れてもらったおかげで、
すぐに友達ができた。
ぼくは慎ちゃんのことを何も知ろうとせず、
偏見を持ったことが恥ずかしかった。
 
 
中学に入学すると慎ちゃんはすごく不安定になった。
それに加え、初めて慎ちゃんと知り合った他の小学校から
来た子の何人かは、慎ちゃんをからかっていく。
中には慎ちゃんの反応が面白いからと、
背中をつねっていく子もいた。

慎ちゃんはその度に、花びんを割ったり、
関係のない子をたたいたりした。

ぼく達は毎回、慎ちゃんをかばいながら、
いたたまれない気持ちになる。

 
授業参観の日には興奮した慎ちゃんが、
隣の席の子に筆箱を投げつける事件があり、
翌日、お母さんが先生に謝りに来た。

小学校の頃から、慎ちゃんのお母さんは事あるごとに学校に来て、
先生やぼくらに頭を下げている。

ぼくはいつも黙って聞いてたけれど
本当は慎ちゃんのお母さんに
「慎ちゃんの良さはもうみんなに教えられて
分かっているから心配しないで。」と言わなければ、と思う。

 
慎ちゃんの存在は、ぼく達にとって鏡だ。
ぼく達は、慎ちゃんのお母さんの、慎ちゃんに対する愛情を見て、
ぼく達もどれほど家族に愛され、
大切にされているのかを、考える事ができる。

それから慎ちゃんにたたかれても怒ったりやり返したりしないのは、
自分の姿が慎ちゃんを通して写し出されるからだと思う。
 
同情ではない。
皆、「慎ちゃんが決してぼく達の事を嫌いじゃない事を知っている。
心を通じ合わせた日には仲良くやっていける。
その日を待っている。ただそれだけの事さ。」

そういう気持ちで慎ちゃんを見守っている。
転校生のぼくを包み込んだやさしい輪は
やがて中学の全員に広がり、
慎ちゃんを悲しませる人がいなくなる。

ぼくはそう信じている。

 
慎ちゃんは音楽が大好きだ。
みんながつまらなそうに歌っていても
慎ちゃんは魂の底から音を楽しみ、
うれしそうにリズムをとって大声で歌う。

その歌声はぼく達の魂を強くゆさぶり、
ぼく達の気持ちはどんどん解放され明るいハーモニーが生まれる。
 
二学期に行われる学級対抗の合唱コンクールの伴奏者に、
ぼくは立候補した。
本当に歌を楽しむ慎ちゃんのエネルギーに負けないよう、
力いっぱいピアノを弾きたい、と思ったからだ。

もし、慎ちゃんが参加することで、「音程やリズムが狂う。」
そう心配する友がいたら、ぼくには答えが用意してあった。
 
「美しいハーモニーというのは、音程なんて関係ないさ。
大切なのは、歌が好きだっていうことと、
心がそろっているということなのさ。」
 
しかし、ぼくの説明は必要なさそうだ。
だって慎ちゃんが「歌いたい。」と思う権利を尊重しない子が、
今のぼくのクラスにはすでに一人もいないのだから。

こんなすばらしい仲間達と心をひとつにした歌声は、
きっと学校中の、まだ慎ちゃんという人間の事を
きちんと理解していない人の心にも響き、
これが彼の人権を考えるきっかけになればと願う。
 
ぼくが慎ちゃんと心を通じ合わせる日は近い。
だって今日ぼくは、慎ちゃんに確かに呼ばれたのだから。

「たっちゃん」と。



(2005年)

コメント一覧

ai
たっちゃんとよばれた日を読んで
泣いてしまいました。

子どものように
本当は、もっともっと
小さい時に、いっぱいいっぱい
泣かなければならなかったのでした。

○ごめんね。
誰一人、○を悪くしようなんて言う人はいないのに。
みんないっしょうけんめい○のことを考えているのに。
なのに、どうして歯車が、狂ったように軋みだすのだろう。

「○君のために…良いことはなんだろう。」
と、一生懸命考えている大人たち。
でも、子どもたちは違う。
「○君とどうやったら、一緒に楽しくやっていけるかな。」
と考える。

また泣けてきたので、
たっちゃんの作文を読んで、
今日は一日、○とゆったり過ごします。


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