『たっちゃんと呼ばれた日、その後』
昨日の作文を載せたら、当然、つづきも載せなきゃねと、探しました。慎ちゃんのお母さんの原稿にありました(^^)/
ちょうど3年前の高校相談会のことから、原稿が始まっていました(゜.゜)
一部要約して、お届けします。今年は、明日が高校相談会の日です(>_<)
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ワニのなつやすみをお読みのみなさん! こんにちは。
「たっちゃんと呼ばれた日」に登場した「慎ちゃん」の母です。
5月27日、千葉の「障害児の高校進学相談会」に参加してきました。朝、8時30分に家を出て空港へ。その日は全日空のシステムトラブルで離陸が遅れました。慎ちゃんにとっては10年ぶりの東京&千葉です。モノレール、JR、楽しそうに乗っていました。遅れに遅れてしまい、相談会に着いたのは3時をまわっていました。
…高校へ向かい仲間がたくさんいます。一人で活動すると気持ちが弱くなるけど、こんなに仲間がいると思うだけで元気が出ます。
「たっちゃんと呼ばれた日」に慎のことを書いてくれたおかげで、今まで私たちがやってきたことは間違ってはいなかったのだと、大きな自信になりました。
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6月、NHK宮崎放送で、中学校のことが放送されました。慎の学校生活のひとコマでしたが、生き生きとした彼の表情を見ることができたのです。うれしかったですねー。お勉強の方は苦手だけれど、何かが楽しくて、何かが魅力的だから、毎日通ってる学校です。クラスメイトがインタビューに答えてくれました。
「慎ちゃんは言葉のやりとりはしないけど、こちらの言ってることはわかってるし、態度で表すから何かがわかる。」
「慎ちゃんと一緒にいることによって、大人になって社会に出た時に、いろんな障がい者と出会っても大丈夫だと思う。そしてクラスのムードメーカーになってくれている。」
「慎ちゃんがいると、周りがなごむので、同じクラスになってよかったです」
と、数名のクラスメートが答えてくれました。
ありのままの慎を受け入れてくれて、ごくふつうに接してることが当たり前になっているクラスに心が温かくなります。
もう一つ、心が温かくなることがありました。NHK宮崎放送局の記者さんから、取材の後にお手紙をいただきました。
『鈴木君の作文に感動しました』『共に育つ教育を進める千葉県連絡会のホームページで見つけたコラム≪根底にある思い・・手をかすように知恵をかすこと≫という言葉』『同級生のインタビューは、慎君と同じように気持ちが純粋なことに感動しました。インタビューしながら泣きそうになったのは、今回が初めてです。』
…など、いろいろな感想を伝えて下さいました。読んでいるうちに涙がこぼれました。
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その後、鈴木君は愛知県に転校していきました。鈴木君は、人権に関する作文をもう一度書いています。ご紹介します。
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≪たっちゃんと呼ばれた日、その後≫
中学校2年 鈴木達三
「……人権問題はとても難しい問題です。ここにいる僕たちの作品の中の出来事はどれも現在進行形で、まだ終わっていません。これから先、またいくつもの壁にぶつかり、悩んだり、迷ったりするでしょう。くじけそうな時は、今日、こうして賞を頂いたことを誇りとし、決して作文だけが一人歩きすることなく、胸をはって一人一人の人権が尊重される社会づくりをしていきたいです。」
法務大臣賞を受賞した僕は宮崎県庁でお礼の言葉を述べた。安藤知事と笑顔で握手を交わし、噴水をバックに記念撮影をしても僕の気持ちは晴れなかった。
事件は表彰式の三日前に起きていた。僕は人権作文に同じクラスの慎ちゃんのことを書いた。その慎ちゃんが下校途中、背中にあざを作ってブルブル震えているのをお父さんが見つけた。帰宅しても、慎ちゃんは何も語らなかった。ただ、翌日、登校を嫌がった。
「誰がそんなことをするんけ。」
合唱コンクールで慎ちゃんと共に大成功を収めた僕たちには、信じられない話だった。
「うちの制服の子が逃げ去るのを、慎ちゃんのお父さんが見たそうです。」
がっくりと肩を落とす担任の話に、僕たちは言葉を失った。僕は表彰式で、既に壁にぶつかっていた。立派な額に仰々しく入れられた二枚の大きな賞状の本当の重さをずっしりと感じた。
PTA新聞に僕の作文が特集されることになった。「これをただの美談で終わらせてはならない。」 編集長の熱い思いは、僕の胸にもじいんと響いた。慎ちゃんのご両親も、ぜひ記事にしてほしいと訴えた。今までの慎ちゃんとの歴史の中で多くの思いや迷いの末の決断だったそうだ。
既に、印刷所に別の内容で入稿済みだった原稿を差し止め、記事を短期間でそっくり差し替えたエネルギーは、今まで慎ちゃんの家族の努力や苦労を見守ってきた周りの保護者の「この作文を通して、やわらかな輪を学校全体に広げたい。」、そういう切実な思いからきたものだった。作文の全文と、慎ちゃんをとりまく先生、保護者、慎ちゃんのお母さんからのメッセージを大きく載せたPTA新聞は大反響を呼んだ。
新聞を読んで、作り話じゃないかとからかう友人たちの前で、僕が慎ちゃんの手を握ると、「たっちゃん」、慎ちゃんははっきりと答えた。その声に、慎ちゃんも、いま僕たちと共に何かを伝えようとしている、そう感じた。「作文の一人歩き」に悩み、参加をしぶっていた意見発表会で、慎ちゃんの作文を読んだ僕の選択は間違いではなかったのだと確信した。
新聞や公民館での朗読で紹介された作文は、あっという間に学校をのみこんだ。感動した近所の酒屋さんは、それをまたコピーしてお得意さんに配って回った。慎ちゃんへの理解やあたたかい励ましは、ゆっくりと地域へも広がっていった。
その中で慎ちゃんはまた元気で登校するようになった。僕は、僕の目の前で、小さな人権運動が広がっていくのを目の当たりにした。三月、給食にお別れケーキが出た日、一年間、給食をまったく口にしなかった慎ちゃんに、担任の先生がいつものように「これあげていいけ」と尋ねると、慎ちゃんは初めて首を横に振った。
三角形の箱を自分で開け、自らの口へ運んだ。みんな驚いた。先生は、涙ながらに、「これだけは食べるんけ。給食、みんなと一緒に食べるんけ」と何度も慎ちゃんに話しかけた。何かが動き始めた瞬間だった。
突然、僕の転校が決まり、僕は慎ちゃんとお別れにラーメンを食べに行った。並んでラーメンを食べる二人をじっと見ていた慎ちゃんのお母さんが、「慎はたっちゃんと知り会えて、本当によかった」と言った。僕は、違う、と思った。慎ちゃんと巡り会えて良かったのは僕の方だ。
慎ちゃんと、彼を支えるご家族、先生、仲間、そして地域の人たちに巡り会えたから、僕はやっと本当に胸をはって言える。
「一人一人の人権が尊重される社会づくりは、平たんな道のりではない。が、しかし、決して机上の空論ではない。」と……。
新学期、慎ちゃんの担任の先生は、他の学校からの転任者だった。また新しい出会いに緊張する慎ちゃんと、また一から説明しなければ、と気負うお母さんに、先生が言った。
「たっちゃんのお友達の慎ちゃんよね。作文を読んで知っているよ。よろしくね。」
昨日、慎ちゃんから修学旅行の写真が届いた。
(2006年・第26回全国人権作文コンテスト 愛知県大会優秀賞)