ワニなつノート

雨の日のキャッチボール(その7)

雨の日のキャッチボール(その7)


《ありんこ》
石川先生の著書の中で読ませていただいて、
共感を覚えたあの時の気持ちを思い出しました。

yoさんの私のブログからの読み解きを伺っていると
納得できるんです。
「確かにそう!」と感じるんです。

ですが、もう一方でスッキリしないものがあるんですが、
それが何なのか?私の中でもまだよく言葉にできません。
私の中でスッキリとしない、腑に落ちないものが何なのか、
よく考えてわかったら出直してきます。


   □    □    □


《yo》
そうなんですよね。
私も同じようなものを感じながら書いています(>_<)

あーちゃんに一度も会ったことのない私が、
あーちゃんの一番そばにいる人に向かって、
遠くから言葉を投げているのだから、
かなり無理があるなーと思っているのです。

もちろん、私の中で、「子どもってこう感じるんじゃないかな」
と思う部分には、ある程度の自信をもって書いています。

でも、それはあーちゃんの「子ども」の部分であって、
あーちゃん自身の個性表現とは、ずれるものがあると感じています。

あ、ひとつ分かった。

私、ありんこさんに遠慮してたんじゃなくて、
あーちゃんに遠慮してたんだ。

いつも私がこうして書いているのは、
もし、私がその場にいて、その子に向かい合った時に、
私はどう感じ、どう動くだろう、と思いながら、
自分に確認する作業です。

でも、本当にそれを確かめるには、
自分が思ったことを、子どもに投げかけてみて、
その反応をみて、修正したりそのまま続行したりするのでした。

でも、ここでは、それができません。

一方的に、あーちゃんの思いを、ここはこう、ここはこう、
ってつなぎ合わせていくことに、自分で無理を感じているようです。

本当はそのこと自体が、ひとつもキャッチボールじゃないんですよね。


去年、Manaちゃんのお母さんが
「本人が高校に行きたくないと言っているから…、
高校は受験しない」と言いだしたとき、
私はその場で一生懸命話しました。

99%「そんなはずはない」、と思いながら。

今日のブログの「声」を最初に書いたのは、
Manaちゃんが小学校1年生のときでした。
なぜそれが分かるかと言うと、
「声」のなかで私がイメージした子どもの一人が
Manaちゃんだったからです。
それくらい、私には小さなころからみてきた
Manaちゃんに対する思いがありました。

だから、私には「高校に行きたくない」というのが
Manaちゃんの本心であるはずがない、という確信がありました。

だから、必死でお母さんを説得しながら(>_<)、
私はManaちゃんの反応を見続けていました。

「Manaちゃんが自分で決めていいんだよ。
Manaちゃんが誰にも遠慮しないで、本当に自分で決めたことなら、
Tさんも、SさんもManaちゃんが不合格になったとしても、
受験をやめて他の学校にいったとしても、
Manaちゃんを嫌いになったり、ダメだなーなんて、
ひとつも思わないんだよ。ねえ、Tさん、Sさん、そうだよね」

私が、そう話して、TさんとSさんに呼びかけた時、
それまでうつむいていたManaちゃんが
ちらっと横目でTさんとSさんを見ました。

もちろん、TさんとSさんは笑顔で
Manaちゃんにうなずいていました。

私は、その瞬間、「ああ、だいじょうぶ」と思ったのでした。


その翌日が、ちょうど県教委交渉でした。
もしManaちゃんが受験をしないのなら、
県庁まで来ることはないでしょう。

でも、私の中では、Manaちゃんは絶対に来る、と思っていました。
その確信の一番の根拠は、
TさんとSさんが笑顔でうなずいているのを見たときの、
Manaちゃんの表情でした。

そこに、言葉はひとつもありませんでした。


それはまた、Manaちゃんの気持ちが「分かる」というよりは、
私が出会ったきた子どもたちみんなの気持ちと
Manaちゃんの気持ちは「いっしょ」にきまってる、という思いでした。

その日の交渉で、Manaちゃんは、県教委の関係各課10名ほどの
担当者のおじさんたちを前にして、
堂々と「高校に行きたいです。お願いします」と、
まっすぐに前を見て話しました。

そんなときに、私は思うのです。
私たちの目標は、この子たちを高校生にすることだけど、
やっぱり高校に合格することよりも大事なことがあると。


…それと、私の中のもう一つの違和感は、ブログ上では、
ありんこさんとキャッチボールをしていない、ことです。

会って話すのとも違うし、何よりブログはメールとも違って、
話している「相手」が不特定多数なのです。

やっぱり、1対1でキャッチボールしないと、
伝わらないことがいっぱいあります。
そんな訳で、あーちゃんについての私の言葉を、
あまり真に受けることもないですよ。

石川先生の文章を載せたのも、ありんこさんが、
こうしたことを分かってないと思っているからではなく、
ありんこさんも、こう願っているんだろうな、と思っているからです。

そして、私もそうですが、分かってるはずのことを、
時々立ち止まって思い出さないと、
子どもはこちらが思っている以上に、
足が(逃げ足が)速くなっていて、
どんどん先を歩いていることに、
ふと気づいたりするんだよねって。


スッキリしないもの、分かったら、教えてくださいな(^_^)/~

コメント一覧

ありんこ
こんにちは 家庭訪問が終わりPCに向かえる時間が出来ました。
yoさん お気遣いありがとうございます。

yoさんの仰る通り、お互いブログを媒体としてやり取りしていて、お互いのキャッチボールではないところが原因なんだろうと私も思います。

娘と私のキャッチボールもyoさんが書かれている通り、相手に投げかけたボールがどう返ってくるのか、反応を確かめながら修正したり、続行したりしています。
そんな最中、経験豊富なyoさんから「それの答えはこう!」といった感じで先に答えを出されてしまった口惜しさがあったのだと思います。
(不器用な子供たちを多く見てこられたyoさんならわかっていただけると思いますが)

そして石川先生の文章でまたちょっと私の中で混乱してしまったんです。
私個人へのメッセージとは違って、不特定多数の読者の方々へ向けてのブログだということは承知しているのですけど
これまでの子育てで得たものと
障害を持った娘への関わり方の間で何か思い違いをしていることがあるのか考える機会を与えていただいたようです。まだよくまとまっていませんがよく考えてみたいと思います。
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