ワニなつノート

悪い子ノート2019(その2~5)





悪い子ノート2019(その2)


《贈り物》



人は、目の前の子どもとコミュニケーションできる限りにおいてしか、自分の中の「子ども」とも通じ合うことができない。

それは、目の前の子どもとコミュニケーションするやり方でしか、自分の中の「子ども」とも通じ合えないということである。

自分と自分の中の「子ども」との間をとりもつもの、それが「出会った子ども」たちからもらった贈り物だった。


※(一冊も読んだことのないポール・ヴァレリーの言葉を、自分のために書き換えたもの)



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悪い子ノート2019(その3)


      

あれから15年、一度もあったことがないけど、いまもつながっている。

「いい人になれるかな」

「なれるよ。お前のなりたい人になれるとおもうよ」


「まだ間に合うかな」

「間に合うにきまってる。だって、そう願うお前がここにいるんだから」


      ◆

悪い子も本当のお前。

自分は変わってしまった。

母さんに愛されたころの自分はいない。

戻れない。だからなりきった。

それも本当のお前。

いい人になれるかと、聞いたお前も、まだ間に合うかと気にするお前も、どれも本当のお前だった。


悪い子のお前と、私の中の悪い子は、同じ「おれたち」だった。

いい人になりたい小さな子ども。

守りたい人がいる小さな子ども。

そうかぁ。おれたちは、こんなにも近くにいたんだな(・。・)



           yellow2


悪い子ノート2019(その4)


学校。

先生が子どもに何かを「させる」所。

子どもが先生に何かを「させられる」所。


先生が取り上げるのは、子どもの主体。

子どもがなくすのは、自分の「主体」。


     ◇

「あなたが感じるように感じてはいけない」

「あなたの身体が動きたいように動いてはいけない」


でも、それは大事なものだから。

素直な子どもは、「指導」の対象となるような「行動」をする。

逃げる子もいる。

     ◇

大人はそれを「問題行動」とよぶ。

子どもは「悪い子」とよばれる。
    
だから、障害のある子は、時にウルトラマンになれる。

主体を差し出さなくていいと、身をもって示すヒーローになる。




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悪い子ノート2019(その5)



みんなの一員ではなかったのは、「悪い子」の私。

みんなの一員ではなかったのは、「障害」のある私。

「不登校」の私も、みんなの一員ではない扱いだった。


追い出されるにしろ、逃げるにしろ、分けられるにしろ、捕まるにしろ同じ。
いつも、ふつう学級の「解決」は、「透明」にすることだった。


ウルトラマンになって倒したかった「怪獣」は、そいつだ。

誰かを「いないこと」にして、「解決」はない。

一人が「いなくなる」ことは、みんなの「守り」がなくなることだから。

「子どもはみんな誰かに守られた子ども」であるという安心を、すべての子どもから奪うことだから。


         ◇

「私たちはみんな主体を取りあげられた子ども」として扱われた子どもは「無条件に守られる子ども」を憎む。

自分が奪われたものを、「無条件」に手にするのはズルいと叫ぶ――。


         ◇


「あなたが感じるように感じてはいけない、と言わない」

初めからみんなに、そう言えたらよかった。

「好きなだけ時間をかけていいよ」

「どうして? だって子どもだから」

「どんなにゆっくり行っても遅すぎることはないんだよ」
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