特別支援教育はいらない。
私たちが求めてきたものは、生活の場としての学校であり、
そこで共に育ちあい、学びあうための学校。
ただ先生に「与えられる教育」を学校に求めてきたのではなかった。
だから、受け入れる気のない先生に
「何もしなくていいのか」と言われたときでも、
あえて、「いるだけでいい」と言ってきた。
それは、「いること」の豊かさを知っていたからだ。
子ども同士の関係の豊かさにこそ希望があることを信じていたからだった。
ふと、石川憲彦さんの本に書かれたことを思い出した。
☆
「どうしてもQに何かを教えようとして下さるのなら、一つだけお願いがあります。
義務教育の期間中に、どうやったら刑務所や施設から脱走できるか、
その方法をQに教えてやって下さい」
重度の障害児といわれるQ君のお母さんが、担任に、
Q君に何を教えてよいのかと相談された時に答えた言葉です。
「先生がQに何かを教えたいと思われる気持ちはよくわかります。
そして、教えようとあせればあせるほど、
何も覚えてくれないQに自分よりもっといい教育ができる人が、
場所があるのではないか、と迷われる気持ちもわかります。
親もしばしば同じ思いにかられます。
でも、Qを普通学級より手厚く指導してくれるからといって、
養護学校へやってみようとは思わないのです。
学校が終わった時、親が死んだ時、Qは自分で生きていかねばなりません。
しかし、街を歩いてみたいなと一人で外出しても、すぐに保護されるでしょう。
いかに善意の保護であっても、
彼の「ただ外をぶらついてみたかっただけだ」という思いを、
しゃべれない彼の口から理解してくれるでしょうか。
保護は、収容に変ります。
しかし、どんなに至れりつくせりの収容施設であっても、
収容は「一人で気ままに青空の下を歩いてみたい」という、
一人の人間のごく当然の気持ちを抑えます。
何度収容されても、何度でも脱走し、
自分は一人で青空の下を歩きたいという思いを
示せる人間であってほしいのです」
その願いは、やはり特別支援教育とは正反対のものだ。
子どもの生活に必要な配慮の一々に、
「自立を目指す教育」と「納税者になるための教育」が
もれなくついてくる教育などいらない。
いちいち、声かけ、トイレ、食事、移動、着替え、のたびに、
「自立教育」を目的になんかされてたまるか。
「ほっといてくれ」。
だから、「特支教育でなく、ふつうの教育の中で、
ふつうに手をかしてくれればそれでいいと、
教育の目的を、わざわざ別に用意して押し付けてくれるなと、
私たちの言葉で、日常の「支援」の在り方を語りたい。
そして、それは、ふつうに聞く耳を持つ人には「通じる」のだ。
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