あの子が、この子の支えになっている
自分の人生を真剣に振り返る機会があって…、
浮かんできたのはたくさんの子どもたちの顔だった。
そのとき初めて気づいたのは、ひとりの子どもを思い出すとき、必ずそのとなりにもう一人の子どもがいることだった。
わたしのなかで、ゆうりちゃんがけいちゃんの支えだった。
二人の支えはたっくんだった。
えりちゃんがはるかの支えだった。
かいとくんの支えはあゆみちゃんだった。
やっちゃんの支えはただしだったし、はるくんの支えはこうじだった。
わたしのなかで、まなちゃんをまもる支えは、かんちゃんとあきこちゃんだった。
りさの支えはともちゃんだった。
うまく説明できないので、このままメモしておくけれど、
私が目の前で困っている子どもに出会ったとき、
その守りたい思いを支えていたのは、その前に私が出会っていた子どもたちだった。
「分けられない」ことが、「この子を守る」ことだと、私が信じているのはなぜか。
「分けないで」と命がけで生きた子どもたちと出会ってきたから。
「友だちといっしょにいたい」ことに子どもが命がけで生きて、笑う顔と声、泣く顔と声にふれてきたから。
みんなといっしょに行きたい。
いっしょに学校へいき、いっしょにべんきょうし、いっしょに遊び、いっしょに給食を食べ、いっしょに掃除をして、いっしょに帰り道を暮らしたい。
おにいちゃんといっしょ。
おねえちゃんといっしょ。
友だちといっしょ。
妹といっしょ。
弟といっしょ。
みんなといっしょ。
わたしが一人の子どもを守りたいと願う時、その願いの支えは、わたしが出会ってきた子どもたちだった。
何百枚も要望書を書いてきて、交渉とかビラまきとか座り込みとか、若いころはガラスにつっこんで救急車で運ばれるような無茶をして、子ども一人分の居場所を必死で守りたいと願ってきたのは、いつもその子の前に出会った子どもから「助けてあげて」と頼まれていたのだった。
はじめての子どもとの出会いから三十年余り。
わたしのなかには支えの子どもたちがあふれている。
ああ、これって、わたしがあの子たちと、この世でいつもいっしょに生きた証だと、生きているあいだに気づけてよかった。
あの子がこの子の支えになっている。
この子があの子の笑顔をつないでいく。
◇
わたしが癌になってよかったことのひとつは、出会ってきた子どもたちの意味にあらためて気づけたことでした。
だから、いつもの就学相談会とは違って、制度や教育や親の不安とかの話ではなく、ただわたしが出会ってきた子どもたちのことを一度話してみたいと思いました。
もしかしたら最後の機会かも…という気持ちもちょっとあります。
そんな訳で、私から高村さんに頼んで学習会を企画してもらいました。
2月9日(日)
障害児の就学を考える学習会
「就学相談会で出会った子どもたち」
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