「ルポ消えた子どもたち」(その5)
《何が残念なのか》
ずっとこの本にこだわっている。
私が何にこだわっているのか。
そのことを、ずっと考え続けている。
この本は、子どもたちを助けるためのものだと、思う。
「はじめに」で、厚木市のアパートで、一人で死んでいった理玖くん(死亡時5歳)の事件にふれ、
「一体、どうしてこんなことが起こるのか。全ての子どもに教育を受けさせることが義務づけられている日本で、学校に一日も通ってこない子どもがいるのに、なぜ7年以上も見つけてあげられなかったのか。
いてもたってもいられなくなって…。
……姿が見えなくなってしまう子どもを放置する社会であってはならないと強く思う。
どうすればいいのか、本書を読みながら一緒に考えていただきたい。」
どうすればいいのか、私は考えてきたのだとおもう。
ずっと昔から、そのことを考え続けてきた…。
「一体、どうしてこんなことが起こるのか。
全ての子どもに教育を受けさせることが義務づけられている日本で、学校に一日も通ってこない子どもがいるのに、なぜ7年以上も見つけてあげられなかったのか。」
その答えの一つは、学校がはじめから、すべての子どものために、作られたものではなかったからだ。
「全ての子どもに教育を受けさせることが義務」になったのは、1979年。
ほんの30数年前のことにすぎない。
私が子どものころは、就学猶予をさせられる「子ども」がいるのが、当たり前の社会だった。
学校が子どもを拒否し、子どもの姿を見えなくさせる「機能」をもった社会だった。
いまは違う、か?
養護学校が義務化され、特殊教育から特別支援教育に変わった、いまは違う、か?
「姿が見えなくなってしまう子ども」は、親から監禁され虐待される子ども、だけのことか?
そこに、何か大きな落とし穴があるような気がする。
(つづく)
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