ワニなつノート

『駅と車椅子』(3)




【未来をひらく教育のつどい・2007
小・中学校から高校へ
どうする!?高校の「特別支援教育」】

このタイトルにつられて、あるシンポジウムの記録を読んだ。

内容は一つも面白くもないし、参考になることも何もないが、
次のような言葉が印象に残った。

①【埼玉県の障害児学校の最大の問題点は
「学校が不足している」ということです。

開校当初想定していた人数の2倍もの子どもたちが
在籍している学校があります。

さらにスクールバスも足りなくて、乗車時間は長くなっています。

私たちは問題の本質を「学校不足」ととらえ、
抜本的対策として学校増設を要求しています。

小中学部の生徒も増えていますので、引き続き運動を進めています。

まだまだたくさんの養護学校をつくらないといけません。】


この人は、
『当初、想定していた人数の2倍もの子どもたちが在籍している』理由を、
本気で考えてみたことがあるのだろうかと、不思議に思った。

「2倍に増えた」その一人ひとりの子どもが、どんな体験を経て、
そこに来たのかを本当に考えてみたことがあるのだろうか?

ただ、「学校不足」を、問題の本質として、
「まだまだたくさんの養護学校をつくらないといけません」と言える、
その単純さに驚く。


②【全国的には高等養護学校は、
100%就労を目指す「障害者を納税者にする」
という教育を目指しています。
高校内養護学校分校もほぼ同様です。】


「障害者を納税者にする」教育。
特殊教育の先生たちというのは、
この言葉に何の疑問を持たないのだろうか?


『駅と車椅子』は、1980年から84年まで100回あまりにわたって、
『埼玉新聞』に連載された。
その中に、この「障害者を納税者にする」教育について書かれた部分がある。
少し長いが、そのまま引用する。

☆    ☆    ☆

≪1円の価値≫

関根さんは埼玉県行田市に生まれた……。
7歳から13歳まで、東京板橋の整肢療護園に入園、
中学2年から高校を卒業するまでの5年間を
熊谷市の養護学校で過ごした。

「おまえたちだって働ける。
労働の喜びを感じられる。
他人が稼いだ1円よりもおまえたちの1円は価値がある」

先生のことばを背に受けて、
彼もまた同年輩の若者たちと同じように、
希望を胸に社会へ踏み出した。

しかし重度の彼が働ける職場はなかなか見つからなかった。
障害者らが自力で授産施設を作り、そこで働いた。

仕事はいろいろだった。
「東芝」の部品の組み立てを請負い、
板にビスを4本打ち込むという作業もあった。
命中させるのに全神経を集中しても、
トンカチはそばの板を思いきりたたいてしまう。

当然、不良品続出。
深夜まで働いても、手にするのは月2万円にも満たなかった。

この惨憺たる“成果”。
商品として暴き出された自分の労働に彼は“愕然”とする。

「稼ぐ1円の価値」「働く喜び」をここからどう引き出せるか。
それでも約2年半がんばった。

しかしドルショックの追い打ちでその仕事さえこなくなり、
徹底的に打ちのめされて、彼は授産施設を去った。

「おれたち不良品だよなあ。それも命をもった不良品」と
関根さんは言う。

教師を恨んだ。

つづいて、母子入園施設からはじまる通算18年の施設暮らしを恨んだ。

「こんなことなら、なぜ最初から現実の社会に投げ込まなかった」と
家族を恨んだ。

☆    ☆    ☆


こうした現実が、今は変ったと言えるだろうか。

「特殊教育」=「特別支援教育」は、
どうして、こうした障害をもつ人たちの声を聞こうとしないのだろうか。

「障害者を納税者に」という言葉は、
合理的な配慮があれば、労働が可能な障害者への理解を求めるために、
社会へ向けた言葉の一つであって、
それを「教育の目的」と言うのは間違いだ。

この人たちは本当に、
目の前の子どもたちを「納税者にしよう」と思いながら、
教育をしているのだろうか?

(つづく)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「0点でも高校へ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事