5年前の記事。『写真には顔の表情も、声も言葉も映ってはいない。』
そうか、この写真に写ってはいない「表情、声、言葉」が、私たちには見えて、聞こえている。
言うまでもなく、中学の「同級生」たちにも見えて、聞こえている。「定員内不合格」にされた子たちが、それでもあきらめずに見ている先、表情、声、言葉が、聞こえる。そこには小学校、中学校のときにいつも、何度も見てきた顔がある。
写真には写っていないもの。入試が測らなもの。面接や作文では測れないものがそこにある。
それを調整する手立ては何か。
千葉では来週、二人の子が、「秋受験」に挑む。
二人の笑顔が見れますように。
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【なぜと問わなくてすむように 2019-③】
私が「なぜと問わなくすむように」という文章を書いたのは18年前のこと。
「知的障害の子どもがどうして高校なのかわからない。何年も浪人したり、何年も留年したりしてまで、なんでそんなに高校にこだわるのか? それがぜんぜんわからない。そのメリットはなんなのか?」
結局、私は「同じ問い」を34年も耳にしてきた。
「その子は高校で何を得たのか? 何が成長したのか? 『多くの友だちを得た』というが、私の孫は養護学校で友達ができたと言っている。それは高校に行かなければできなかったのか? 何年も浪人して、留年して高校を卒業して、どんな意味があったのか。重い障害の子が何年もかけて高校に行った意味がぜんぜんわからない。その子は本当に自分の意志で高校に行きたかったのか。」
34年同じ問いを耳にする一方で、同じように高校を目指す子どもたちに出会ってきた。
伊織君と出会い、あーちゃんと出会い、春くんと出会い、私は同じ「物語」に耳を傾けてきた。
何より34年、「なぜと問わない子どもたち」にも出会ってきた。
ふと気づくと、「なぜ」と問われることに身構えることも、答えようという気持ちもなくなっていた。
それは、もともと私が考えることではなかったのだ。「なぜ」という問いが、自分の生き方の中に浮かんでくるのは「あなた」なのだから、答えは「あなた」の生き方の中にあるのだ。伊織君や私たちに聞いても、その答えは見つからないよ。
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《2年目の浪人の夏》
ここに、2枚の写真がある。左は、誰もいない教室をのぞき込んでいる後ろ姿。
《『学校見学という名の自主登校(?)の旅』 先週に続き志望校へ。今日もアポなしで行ったため、案内してくれる職員はいませんでしたが、ちょっとだけ教頭先生とお話しできました。
しかし今日は伊織の表情がとてもいい。なぜなら、今日は部活の子たちがたくさんいたから。
先週切なげな顔を見せたのは、生徒たちの姿が見えなかったからかもねぇと、同行したヘルパーさんと話をしました。練習を終え、ミーティングしている生徒たちの側に自分から近寄り、体育座りをして嬉しそうに監督の話を聞いていました。》
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もう一枚は、部活の生徒たちの声を聞いている後ろ姿。
《一番の収穫は、ミーティングを終えその場で雑談をしている野球部の子たちの側でその雰囲気に混ざれたこと。そして帰り際、伊織が体育座りのまま『バイバイ』と言ったら、周りの子達の顔が勢いよく、ぐるっと伊織を見て、『バイバイ!』と言いながら自然に腕が伸びて来てタッチをしたこと。少し離れたところで両者を見ていた私が見たものは、どの子も笑っている顔。『子どもたちが切望するつながりと交わり』がその瞬間たしかにありました。》
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写真には顔の表情も、声も言葉も映ってはいない。でも、ここに、確かなものが映っている。
「浪人」を、何年もしているんじゃない。「この子が自分で生きてつながり作ってきた生き方」を、この子が生き続けている、のだ。その生き方を、私たちは生きている限り応援しつづける。
この子の生き方を応援するのに、なぜと問われる云われはない。