ワニなつノート

2018年の予定のメモ《その7》


《その7》
【まゆーきの能力と石川先生の本  怖れない態度】



「まゆーきの能力」(無条件の肯定的態度の絆)を知らなかった私は、子どものころからいつも怖れていた。

取り返しのつかない失敗をしたら、「完全に見捨てられ、分けられてしまう」という怖れがいつもあった。


去年、「酔うと化け物になる父がつらい」というマンガを読んだ時も、「セーラー服の歌人鳥居」を読んだ時も、自分の子ども時代の「怖れ」の感覚が蘇るのを感じた。
親の酒や精神の病を、子どもは自分のせいだと感じることがある。


ふとおもう。「出生前検診」にまつわる怖れと言葉。

それは、子どもが「生まれる」、そのことを語っているのではない。

いまは障害と関係ない自分が、障害児と関わると、「完全に見捨てられ、すべてから切り離される」という感覚なんじゃないか。

子どものころに怖れた「取り返しのつかないこと」。

自分が「障害者」になったら終わり、という感覚。



まゆちゃんやあやちゃんには、その怖れがない。

怖れなくていいことを、生まれた時から知っているから。

親と兄が無条件に教えてくれたことだから。


ここでも石川先生の言葉を思い出す。


      ◇


【インフォームドコンセント……。

誰がそこにかかわるかによって随分違うだろうと思います。

ダウン症の場合ですけれども、遺伝カウンセラーがダウン症の子どもの親である遺伝カウンセラーと、それからそうでない遺伝カウンセラーがカウンセリングした場合で、出生率に大きな差があります。

(遺伝カウンセラー自身が)ダウン症の子どもの親の場合には、ダウン症児を受胎した場合に5割以上が生みます。

通常の遺伝カウンセラーの場合は、9割までが堕胎するという結果があります。

この差が命の問題を考える場合に私には凄く大事なことではないかと思います。】



『心の病はこうしてつくられる』石川憲彦 批評社 2006年  
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