《「はじおつ」の研究》A
「はじめてのおつかい」のことを書いていると、録画を見直したくなる。
間違ったこと書いてないかなの、答え合わせもしたくなる。
□
《お兄ちゃんのおつかいがうらやましかった、4歳の女の子》編
ある日ママがつぶやく。
「だれか買ってきてくれる人いないかなぁ」
「いる!」
「どこに?」
女の子が、笑顔で手をあげる!
買うものを確かめて、女の子が言う。
「ママ、おつかいたのんでくれてありがと」
「なんで?」
「だってはやくおつかいいきたくって」
そう言いながらも、家を出るとすぐにママが作ったお守りを握りしめ、「おまもりがあるから、だいじょうぶ」と言い聞かせ「ママの匂い」をかぐ。
「はじめてのおつかい」を成立させるのは、「個の能力」でなく、「ママの匂い」らしい。
女の子は、買い物するたび、家に帰り報告する。
3度目に出かけるときのひとりごと。
「わたしはかわいいママと、かわいいパパと、かっこいいお兄ちゃんがいるからひとりでおつかい、いくんだよ」
さらに、買い忘れの4度目。
お店を出たところでリュックからお好みソースを取り出す。今度は忘れずに買ったソースを胸に抱えながら女の子がつぶやく。
「これでママよろこぶかなぁ」
□
まるで、私の投稿を読んでくれているような言葉だった。
《誰か、大切な人の笑顔のために、がんばる覚悟を持てる自分》。それが「勇者の本能」、ヒーローの目覚め。「がんばる理由」「やり遂げる意思」は、つながりのなかでこそ生まれるんだよ。
そこに、「孤立化・無力化・透明化」の呪いはまだ微塵もない。
「わたしは一人じゃない」
「わたしは無力じゃない」
「わたしは透明じゃない」
大好きなみんなの笑顔のために、わたしはがんばれる。つながりの安全と、ママの匂いに守られた私には、「ママを助ける力」がある。私は「家では有名人」なんだ!
だから、「わたしはかわいいママと、かわいいパパと、かっこいいお兄ちゃんがいるからひとりでおつかい、いくんだよ」
「ママよろこぶかな」
やっぱり、「はじおつ」研究は間違っていないな。
さてと。 (つづく)