ワニなつノート

「その島の人たちは、ひとの話をきかない」(その4)


「その島の人たちは、ひとの話をきかない」(その4)



7月にこの本を紹介してから、もう5カ月も過ぎた

忘れていた、訳でもない。
ずっと気になっていたのは、下の文章。


自分でもずっと書きたいことのひとつ。

障害を理由に、「発達の機会を喪失」したことによる「障害」の中身。

子ども時代に分けてしまって、苦手なことをさせないで時をすすめることで、結局は「障害」をややこしくしているだけなんじゃないか、と思うことがある。

いろいろ書こうと思っていたが時間がかかりすぎた。

とりあえず原文をそのまま紹介します。


    ◇


【私の友人のひとり、「イイトコサガシ」という組織をコーディネートする冠地情さんは、発達障がいをもつ。彼は、いつもこう言う。

「発達障がいというのは、発達の障がいではなく、発達の機会を喪失したことによる障がい、すなわち、発達機会喪失障がいなのです」

ことばによるコミュニケーションの上手下手はひとそれぞれだ。
しかし慣れることはできる。
発達障がいをもつひとたちは、今の社会では発達障がいではないひとと分けられてしまう。
分けらると、そうでないひとたちとコミュニケーションをとる機会が減る。
すなわち、対話に慣れる機会が減る。

「習うより慣れる」

仮にコミュニケーションスキルの訓練をしたとしてスキルは身についたとしても、コミュニケーションに慣れていないならば互いのコミュニケーションはうまくいかない。

それは障がいをもつ側ではない側でも同じことが言える。
スキルがあったとしても、コミュニケーションに慣れていないから発達障がいをもつひととうまく対話することができない。

もしも、互いに慣れていたとしたら、このような困難はほとんど生じない。
このようなことはよく言われていることだが現実的には難しい。  ………】


(「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」森川すいめい 青土社)
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