面白すぎて先が読めない文章(その3)
《能力判定の半分は常に「素人的な推測」に基づく》
人間が判断・決定を行う能力を科学的に客観化できる確固たる技術は完成していない。
具体的な課題は心理学や精神医学の専門性の外にある。
能力判定の半分は常に構造的に素人的な推測に基づく。
◇
《二 法的能力の非科学性と差別性》
法的能力の制限や区別の前提には、人が判断・決定を行う能力の状態を科学的に客観化できる技術があることが必要である。
しかし21世紀に至っても、人間が判断・決定を行う能力を科学的に客観化できる確固たる技術は完成していない。
この問題をさらに困難にするのは、
第一に、心理学や精神医学の専門家が、仮に対象者の精神的な能力の状態を客観的に測定できたとしても、その測定された能力の状態が、例えば根抵当権設定契約を行うのに充分であるかどうかは、その専門家が根抵当権設定契約がいかなる契約であるかを知らなければ判定しようがないという点にある。
能力は具体的な課題との関係で決まるので、具体的な課題の内容をよく知っていなければ、その課題を解決する力があるかどうかは判断できない。
しかし、具体的な課題は心理学や精神医学の専門性の外にあるので、能力判定の半分は常に構造的に素人的な推測に基づくことになってしまう。
第二に、人の判断・決定はさまざまな社会関係の下で対人的な支援や影響を受けながら行われているが、心理学的・精神医学的分析の中にはそうした社会的要素は含まれていない。
ここでも「科学的・客観的」評価は人の判断・決定の半面だけを捉えたものになってしまうことになる。
また、法的能力の制限や区別をすることの前提には、仮に人の能力を科学的・客観的に余すところなく測定できたとしても、その測定結果を踏まえて、どのレベルで能力ありとするかという問題、いわば合格最低点を何点にするかという問題がある。
この問題は自己決定の価値と能力の乏しいものが騙されるなどして不利益を受けないようにしてあげようという保護的な価値(パターナリズム)をどこで調和させるかという価値判断に行きつく。
つまり、法的能力の制限や区別は、結局、政策判断に行きつくことになる。
そして、その政策判断はどこの国でも障害のある人の能力を過小評価するという過ちを犯してきたと障害者権利委員会は指摘している。
(「日本の成年後見制度の問題点」池原毅和 季刊・福祉労働152号)
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