ワニなつノート

特別支援教育ってどんな教育?


「特別な支援」、「特別な教育」、
「特別な配慮」を必要とする「特別な子ども」だけが行く学校。
それを「特別支援学校」といいます。

「普通学校」では「できない」から、
わざわざ「特別」な学校があるのでしょう。
「特別支援学校」で行われる「特別支援教育」は、
「普通教育に準ずる教育」といいます。

ところが、「特別支援教育」は、普通学校でも行われるといいます。

では、普通学級のなかでの「特別支援教育」は、
みんなの中でどのようにしてなされるのでしょうか? 

一斉授業の中で、何をどうすることが、特別支援教育なのでしょうか?
「普通教育」を受けている子どもと同じ教室で、
障害児だけは「普通教育に準ずる教育」を行われているのでしょうか?

それは、障害による「差別」ではないでしょうか。

たとえば、視覚障害のある子どもに「点字を教える」ことは、
「特別支援教育」というのでしょうか。
「特支教育」の教育目的、教育内容に含まれる教育活動なのでしょうか?

多分、それは「点字を教える教育技術」をもった教師でなければできないことで、普通学校の教員免許しか持たない教師は、その技術を持っていません。
いわゆる「特別支援教育領域」の教員免許の範囲なのでしょう。

そこまでは分かります。
つまりそれは、今までの盲学校、特殊教育と同じです。

では、点字を習い、使えるようになった子どもが、
普通学級で、点字教科書等、必要な配慮を受けながら、
普通学級の子どもと一緒に同じ授業を受けるのは、
「特別支援教育」なのでしょうか、
それとも「普通教育」なのでしょうか?

たとえば、その6年生のクラスの国語の一斉授業そのものは、
どう考えても「普通教育」です。
でも、同じ先生、同じ教材、同じ授業を受けていて、
健常児は「普通教育」、
障害児は「特支教育」を受けているというのはへんです。

障害のない子どもの教育目的は「人格の完成」であるが、
障害のある子の教育目的は「障害の克服」である、
というのもへんです。

それこそ「差別」でしょう。

では、その「点字教科書」を準備することが
「特別支援教育」なのでしょうか?
いや、それは教育を受けるための「合理的配慮」というのです。

では、その視覚障害のあるふつうの子どもが受けている教育は、
なんと言うのでしょう?
すっきりできる説明を知っている人がいたら、教えて下さい。

教材の中で、視覚障害のある子どもには「分かりづらい」と
思われる表現や内容を、教師やクラスメートが工夫して実験したり、
伝えようとすることが、「特別支援教育」と言うのでしょうか?

でもそれは、普通教育の中で、
教育の営みとしてふつうに行われてきたことです。

たとえば、ある生徒が、ある場面でつまづく。
それを、話し合いや、子ども集団の中で、なぜを話し合い、
学びあう工夫を通して、全体の理解も深まっていく。
そうした営みを、「教育」といってきたのです。

たとえば、計算の途中でつまづいている子どもへの対応と、
視力の問題でつまづいている子どもへの対応があるとき、
その対応に、なぜ別の名前をつけなければいけないのでしょうか。

子ども一人ひとりの「つまづき」の状態、原因によって、
「教育」の名前を変える必要など、
もうなくなったことに気づかなければならないのです。
なぜなら、目が見えないことは、かわいそうなことでもなく、
恥ずかしいことでもなく、まして不幸なことではないのですから。

コメント一覧

ワニなつ
「もう少し、なんとかならないと困るよ~」

うん。
そういう話を、みんなのなかでしていかないと、
自分の中だけだと、同じところをグルグル回っちゃうんだよね。

会で、そのセリフを聞いたら、
私なんか、いちばん、うれしそうに突っ込みをいれると思うけど、
やっぱり「子どもの話」の前に、「親の話」をしていかないと、
子どもの問題なのか、親の問題なのかも、見えてこないよね。

みんなにいろいろ突っ込まれると、イヤになったり面倒になることもあるけど、
でも、そういうなかで、自分の本当の思いに、自分で気づくこともあるしね。

たのしみだね~。
いろんな意味で(>_<)
ishizaki
朝日の夕刊の「語る人」という記事を読んで。
15才の息子を亡くした父親(僧侶)の話で、その中に

だれかを「かわいそう」というとき、自分は高みに立ったまま、安全圏にいる。相手のことを慈しんでいるようで、実は、自分がつらさを見たくない、ということではないでしょうか。
私は、我が子を亡くす現実を認めるのが一番つらく、目をそらしていたのです。結局、大切にしていたのは自分自身のことと気づきました。

我が子であろうとも代わってあげられない。私もまた、誰にも代わってもらえない唯一の存在。…

あなたはあなたの生を生きよ。父さんは父さんの生を生きる。そう思いました。…


「かわいそう」と思う人、思われたくないと思う私。
いずれも、自分自身は安全圏にいて、やっぱり、世間体や自分自身が一番大事なのかな…
いつも「ありのままがいいんです」といっときながら、
『もう少し、なんとかならないと困るよ~』と思ったり、難しいです。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「こだわりの溶ける時間」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事