ワニなつノート

ようこそ、「かわいい子に普通学級を旅させる」一味へ(その6)

ようこそ、「かわいい子に普通学級を旅させる」一味へ(その6)


「自動ドア」という落とし穴


家を出て、コンビニに行くと、店の前に立つだけでドアが開きます。
自動ドアは誰も拒まず、どうぞ、と開きます。

昔、重い障害のある子どもたちには、ドアがありませんでした。
ドアどころか、入口そのものがありませんでした。
専門家が「教育不可能」とか「性格異常児」という名前を発明したからです。
行政が「猶予・免除」という制度を整えたからです。

三十四年前。
最初に学校の入口を探しに来たのは、車椅子に乗った小さな男の子でした。

男の子は小学校に入口がないので、教育委員会に入口を作って下さいとお願いに行きました。
教育委員会は、学校の入口を作る代わりに、区役所の入口に3億円のバリケードを作り、音の子が入れないようにしました。

最初の入口ができるのに、五年という月日が流れました。
私が彼と出会うのは、それから三年後のことです。

だから、小学生という子ども時代の5年間を奪われることがどういうことか、私は身近で見てきたわけではありません。
でも彼がその後もずっと、子ども時代に植えつけられた「思い」にこだわり続けて生きていた姿は近くで感じてきました。

このブログを書き続けているのは、彼の思いが私の中に、いるからだと思います。
孤独と怖れを子どもたちに植えつけるなと、いまも彼は私に言い続けます。
障害は受け止める。
障害は支えてくれる人がいれば、自分で受け止めることができる。
でも、友だちが一人もいない子ども時代に植えつけられた怖れは、消えない。
だから子どもを分けてはいけない。
子どもは子どもの中にいなくてはいけない。
育つ、できる、遊ぶ、苦しむ…、それはすべて「いる」ことからしか始まらない。

自分が手にできなかったものへの「思い」。
「後輩」である子どもたちには、絶対にそんな「思い」をさせないという「意志」。
彼は死ぬ直前まで、その思いと意志を貫いて生きていました。

      


……あれから、時代は少しだけましになりました。
セクハラやストーカーが「発見」され、「犯罪」と多くの人が認め始めました。
性同一性障害の子どもへの配慮ができる学校や教育委員会も現れ始めました。
以前なら一生病院から出られなかった子どもたちが、地域の学校に通えるようになり、とうとう国が、普通の小中学校でも「医療的ケアを実施する」ことを前提にした通知を出すところまできました。

「障害児」の人権だけでなく、あらゆる立場の「苦しんでいる人」への社会の手が届きつつあるのだと思います。
この状況のなかで、障害児が地域の普通学級に入りたいと希望するとき、ただ「希望する」だけで入学通知を手にすることもできるようになりました。

ただコンビニの前に立つだけで、自動ドアが開くように見えます。

それは悪いことではありません。
当たり前といえば当たり前のことです。
30数年、その「当たり前」を私たちは求めてもきました。

ただ小学校に入るだけなのに、要望書を出し、校長や教育委員会と何十回と話したり、ビラ配りをしたり、座り込みをしたい人はいません。

でも、「普通学級」への入口が、当たり前に簡単に開いていると感じさせることが、実は落とし穴になっています。

普通学級か特別支援教育か、親が「選択している(できる)」と思わせることが落とし穴になっています。

(つづく)
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