《あーちゃんと知ちゃんと康司のこと》
プールに入れてもらえず、お母さんと帰る途中。
あーちゃんは、わたしのがっこうが「ない」、
「なくなっちゃった」と言いました。
学校の先生が、「人手がないからと、
一人の子どもだけを親に返すこと」は、
子どもから「がっこう」をなくすことであり、
友だちすべてをなくすことです。
お兄ちゃんはまだ学校で勉強している。
お姉ちゃんもまだ学校にいる。
友だちもいまごろ、みんなプールで泳いでいる。
「わたしには、ない」、「なくなちゃった」と、
子どもに言わせること。
子どもが38度の熱を出しているのなら、
仕方ないかもしれません。
田舎のおばあちゃんが倒れたから、
家族と一緒に行かなければいけません。
誰もが、がまんしなければならない理由があるなら、
分かります。
でも、そうではないことを、
誰よりも子ども自身が知っています。
こんなふうに、がっこうや友だちを
「なしにされるのは私だけ」だと、分かっています。
「障害があるから」と感じさせるのではありません。
「わたしだから」と、感じさせてしまうのです。
プールに入れないこと。学校を早退すること。
友だちと遊べないこと。
そうしたことが、孤独にさせるのではありません。
誰もが我慢するしかない時があると、
後からでものみこめる事情があれば孤独は感じません。
でも、「障害児」は、そんなさびしささえ感じないだろうと、
虫のように、石のように、扱われることそのことが、
子どもを孤独にします。
しかも最悪なことに、先生たちは、子どもたちを
分ける側の共犯に巻き込んでいることにも気づいていません。
先生が、一人の子どもを無視して分けるとき、
他の分ける側にされた子どもの中にも、
さびしさを感じる子どもがいます。
今年6月、友だちが「いじめられているのを
救ってあげられなかった」と、
自殺した中3の男の子がいました。
「この子がさびしくないように」
先日、この言葉がうかんだとき、
いろんなことが津波のようにわきあがってきました。
27年前。
知ちゃんは、私が初めて、一年間春夏秋冬を、
30人の子どもたちと一緒に過ごす体験を
教えてくれた子どもでした。
4歳、5歳の子どもたちにとって、「障害児」という言葉が、
何の意味もないことを、私に教えてくれた一年間でした。
知ちゃんが、地域の学校の普通学級に入学できて
喜んでいたとき、
初めての全校遠足で一人だけ、
校庭に置いていかれたことを聞きました。
遠足当日の朝、校長室で母親が連れて行ってほしいと
話している間に、1年生から6年生の全校生徒が出発していき、
校庭にはリュックサックと水筒をもった知ちゃんだけが
ポツンと取り残されていました。
31年くらい前。
小さな男の子が小学校に自主登校している
というニュースを見ました。
「大の大人がよってたかって、
なんでそんな薄情なことをするのか」と、
私はそんなことを思ったのだったと思います。
毎日、校門まで来てるんなら、入れてあげればいいのに。
「特殊教育」のことや「教育委員会」のこととか、
何も知らなかったとき、私が思ったのは、
子どもにそんなさびしい思いをさせていいはずがない、
というただそれだけでした。
あれから、30年余り、
私が出会ってきたこと、交渉してきたことのすべては、
「この子がさびしくないように」ということだと、
改めて気づき直しました。
それは、少しも難しいことでも、
たくさんのお金や建物が必要なことでもありませんでした。
ただ、子どもとつきあう大人が、
子どもに孤独な思いをさせないように、
勉強ができるとか、何ができるとかのその前に、
みんなが安心して生きられる場所と仲間を、
まず何より当たり前のこととして、
この世に用意したいということでした。
どんな子どもが生まれてきても、さびしくならないように。
せめて、どんな子どもとも話ができるように。
言葉が分からなくても、子どもがさびしい思いを
しているかどうか、だけは感じられるように。
子どもたちが安心して、
お互いにやりとりできる場所さえあれば、
「ことば」は子どもたちが生み出してくれる。
どんな子どもが生まれてきても、
「ああ、みんながいて、いいきもち」と感じられる場所を、
学校とか保育園と呼べるように願います。
9月11日は、康司の命日です。
康司がいなくなってもう11年が過ぎます。
小学校に入れてもらえなかった康司のさびしさと孤独を、
これから生まれてくる子が誰も感じなくてすむように。
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