ワニなつノート

「はるこい」から転載


「はるこい」からno-miさんの原稿転載です。

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地域で暮らすということ ~災害から思うこと~


3月11日の地震で東日本の多くの地域で甚大な被害がでました。西尾も震度3の揺れがあり、hrは学校で運動場に非難しました。

家に帰ってから万一に備えて、hrの荷物を集め、枕元に置きました。タオル大小合わせて10枚、おむつ、おしりふき、着替え、くすり、水筒、コップ、スプーン、ティッシュ、おもちゃ少し、防寒着…。車椅子はすぐ外に出せる位置に置きました。他の家族の準備も合わせると、大変な荷物の量になりました。

hrを車椅子に乗せられれば、車椅子を押しながらこの荷物を持ちます。車椅子に乗れなければhrを抱えるので、荷物はほとんど持てません。命第一なので、とにかく逃げなければならないのですが、この最低限の荷物は、hrにはなくてはならないものです。

昨年度は車で40分、海底トンネルをくぐって養護学校へ通っていました。
もし、大規模の地震が起きればその養護学校にhrを迎えに行くことは、簡単ではなくなるだろうと思います。長男は地域の学校なので、短時間に両方の子どもと接触するのは
難しいと思います。家族が離れ離れになることほど不安なことはありません。

でも、今年度からhrは地域の学校に通うようになりましたので、二人の子を同時に迎えに行くことができます。学校へは歩いて行くことができます。

地域で暮らすことは、障害がある子にとっても本当に大切なことだと、こういう時はなおさら思います。地域で日常を過ごしていれば、災害などで家族と離れてしまったとしても、きっと手を貸してくださる方がたくさんいてくださると思います。そして「助けてください」とお願いしやすくもあるでしょう。地域の皆さんを信頼できているからこそです。

私たちは、「能力」で子どもたちを分ける前に、もっと根本的なことを考えなければならないのではないでしょうか。「勉強」の前にあるもの、人は人と共に生きていくということを。

被災地で大変な思いをされている全ての方が、少しでも安らかな気持ちを取り戻すことができますように。心からお祈り致します。

コメント一覧

yo
やっちゃんも、いよいよ受験生ですね(・_・;)

『やっちゃん、高校に行く!』を書けるのを楽しみにしてます(^.^)/~~~


やすハハ
そうだ、地域の学校に行かせなければと決めたのには、そんな思いがありました。
災害にあった時、避難所の知らない場所、知らない人の中で、ヤッチが不安になることを想像しました。
そして誰もヤッチの事を知らず、大声を出したり、変わった事をしていたら、奇異の目にさらされる事になっていたでしょう。
そんな万が一の事を盾にと、教育委員会は相手にしないだろうけど、そこを感じられて、よかった、です。
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