「障害児って、どんな子ども?」
「障害児というのは、『障害』をもつ子どもでしょ。」
「そう…。じゃあ、『ふつうの子ども』は?」
「ふつうの子どもは…、『障害』のない子どもでしょ。」
「障害のある子どもは、ふつうの子どもじゃないの?」
「えっ?」
「だって障害があったって、なくたって、
0歳は0歳だし、3歳は3歳、6歳は6歳なんだから、
子どもは子どもでしょ」
「……」
「障害をもつふつうの子ども」に対して、
親や教師は、その子の中の「ふつうの子ども」をなしにして、
「障害児」とだけ扱ってしてしまうことがあります。
たとえ、「ふつうの子ども」だと思っていても、
それを子どもに分かるように伝えなければ意味がありません。
大人にとっては言うまでもない当たり前のことでも、
それを子どもと分かちあい、子どもが自分で確かめるという過程がなければ、
子どもにとっては「ない」ことと同じです。
そうすると、子どもは、
「ふつうの子ども」としての生活を経験できないことになります。
「障害児の生活」だけを経験してしまうことになります。
肝心なのは、大人がどう「思っているか」ではなく、
子どもがどう受け取っているかなのですから。
「障害をもって生まれたふつうの子ども」は、「ふつうの子ども」です。
ふつうの子どものなかに、生まれたときから目が見えない子どもがいたり、
自分では呼吸することができない子どもがいます。
そうした事情を何も選ばずに生まれたきた子どもにとって、
親が、「片方」だけしか受けとめられないとしたら、
その子は、もう片方の自分を、自分で受けとめることはできません。
たとえば、障害があるのに、それをないことにして、
「ふつうの子ども」としてだけ育てられたとしたら、
子どもは大変な苦労をするでしょう。
点字や車椅子や手話や、必要な援助をまったく与えられないとしたら、
それは虐待と呼べる場合もあるでしょう。
その反対も同じです。
ふつうの子どもであるのに、それを受けとめず、
「障害児」としてだけ扱われ、教育されるとしたら、
子どもは大変な苦労をします。
「ふつうの子ども」時代を奪われること、
「ふつうの子ども」体験の欠如は、虐待と呼べる場合もあるでしょう。
最新の画像もっと見る
最近の「受けとめられ体験について」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- ようこそ就園・就学相談会へ(469)
- 就学相談・いろはカルタ(60)
- 手をかすように知恵をかすこと(28)
- 0点でも高校へ(395)
- 手をかりるように知恵をかりること(60)
- 8才の子ども(161)
- 普通学級の介助の専門性(54)
- 医療的ケアと普通学級(90)
- ホームN通信(103)
- 石川憲彦(36)
- 特別支援教育からの転校・転籍(48)
- 分けられること(67)
- ふつう学級の良さは学校を終えてからの方がよくわかる(14)
- 膨大な量の観察学習(32)
- ≪通級≫を考えるために(15)
- 誰かのまなざしを通して人をみること(133)
- この子がさびしくないように(86)
- こだわりの溶ける時間(58)
- 『みつこさんの右手』と三つの守り(21)
- やっちゃんがいく&Naoちゃん+なっち(50)
- 感情の流れをともに生きる(15)
- 自分を支える自分(15)
- こどものことば・こどものこえ・こどものうちゅう(19)
- 受けとめられ体験について(29)
- 関係の自立(28)
- 星になったhide(25)
- トム・キッドウッド(8)
- Halの冒険(56)
- 金曜日は「ものがたり」♪(15)
- 定員内入学拒否という差別(88)
- Niiといっしょ(23)
- フルインクル(45)
- 無条件の肯定的態度と相互性・応答性のある暮らし(26)
- ワニペディア(14)
- 新しい能力(28)
- みっけ(6)
- ワニなつ(351)
- 本のノート(59)
バックナンバー
人気記事