「普通学級に障害児はいません!」
30年前、千葉県教育委員会は言った。
「統計上は0です!!」
目の前にいる子どもに、「いない!」と言い切る人が、私の目の前にいた。
「お前はいないんだ」と、8歳の自分が怒鳴られた気がした。
私の人生で、「いるだけでいい」に火がついたのは、あの時だった。
「分離教育」は子どもを分けるだけでなく、普通学級に「いる」子を認めなかった。だから、「教育」よりもまず、「いること」を認めさせるのが先だった。
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「親の見栄」
「子どもの障害を受容できない親」
「普通学級にいれば障害児じゃなくなると思い込んでいる」
「理想だけ言っても、介助員の制度もないのに無理」
「分からない授業はかわいそう」
「ダンピング。お客様になるだけ」
「いじめられる」
「子どもがボロボロに傷ついてから、特学に移っても遅い」。
そう言われた時代に、子どもたちを守るために「千葉県の統合教育」を作り続けた。この子たちが「ここにいる」ことを認めさせるために。
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「統合教育」は「インクルーシヴ教育」ではない。
それは分かっている。
小夜さんがよく言ってた。
「分けるから、統合と言わなければいけない。はじめから分けなきゃいいのよ」。
その通りだと思った。
ただ、「分離」に気づいていない社会では、「子どもを分ける不幸」を知らせる必要があった。
差別と闘うには、まず何が差別かをはっきりさせなくちゃいけなiい。
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なぜこんな古い話を持ち出しているのか。
「子どもを分ける」ことへの抵抗がなくなっている気がするから。
「分けられた子ども」の痛みが、二の次にされている気がするから。
すべての子に「いるだけ」でいいと感じられる「安全」を贈ることは、「教育」より先だと思えて仕方ない。
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