ワニなつノート

私が普通学級にこだわって生きてきた訳(001)

私が普通学級にこだわって生きてきた訳(001)


《刑務所から見えるもの》

今朝の朝日新聞に、犯罪学者の浜井浩一さんのインタヴューがあります。
さつま揚げ一個を盗んで逮捕…実刑…長期服役という知的障害のある高齢者…。

「仕事も身寄りもなく、福祉にもつながりを持たずに社会で孤立している高齢者や障害者は、ホームレスになるか万引きや無銭飲食を重ねてでも生きていくしかない。
受刑者は減っていますが、刑務所内で死亡する高齢者は増加しています。」

「病院や施設は受け入れを拒否できますが、刑務所はできません。
だから社会のいろんなところで拒否された人たちの最後の『居場所』になってしまっています。」


            ◇

ちょうどここ数日、『居場所を探して 累犯障害者たち』という本を読みながら、私は自分が「普通学級」にこだわって生きてきた理由を考えていました。

そのせいか、「病院や施設は受け入れを拒否できますが、刑務所はできません」という言葉を読んだ時も、すぐに「その前もあるよ」と思いました。
知的障害のある子どもは、保育園や幼稚園、そして小学校でも受け入れを「拒否」されています。

この社会では、生まれる前から出生前検査で、「生まれくることを拒否」される子どもがいて、保育園や幼稚園という「社会で子どもを育てるための子どもの居場所」からも拒否され、そして6歳でみんなと一緒に学校生活を送ることさえ拒否される子どもがたくさんいます。

「拒否していい」と子どもたちに最初に教える場所が、幼稚園や小学校であるともいえます。

私には、この社会のあらゆるところで拒否された人たちの最後の居場所が、刑務所だと読めるのです。
『保育園や小学校や病院や施設は受け入れを拒否できますが、刑務所はできません」と。


            ◇

《「ちゃんとできる」があたりまえの社会》


浜井さんが、そのことに気づいたのは3年間刑務所に勤務したときの体験からだといいます。

「拘置所から毎日受刑者が送り込まれてくるのですが、高齢者や知的・身体的ハンディキャップを抱えている人など、ちゃんと働けない人たちばかり。
刑務所の居室は満杯なのに刑務所内の工場は人手不足で、東京拘置所に『ちゃんと働ける受刑者を送ってくれ』と苦情を言う毎日。

さすがに気づきますよね。
これはおかしいと。
彼らが治安悪化を引き起こした人たちなのか?

どう考えても、仕事に就けず、社会のどこにも居場所がない人たちが刑務所に送り込まれてきているだけじゃないか、と」



           ◇


この部分を読んだときにも、私が一番気になるのは、『ちゃんと働ける受刑者を送ってくれ』という言葉です。

「ちゃんと五体満足な赤ちゃんを産んでくれ」から始まり、保育園・幼稚園でも「ちゃんと歩ける子を入れてくれ」「ちゃんとしゃべれる子を入れてくれ」。

小学校に入るには、就学時健診がある。
「ちゃんと45分座っていられる子を入れてくれ」
「ちゃんとしゃべれる子を入れてくれ」
「ちゃんと勉強できる子を入れてくれ」

中学や高校では「ちゃんと点数を取れる子を入れてくれ」。

職場は、「ちゃんと仕事ができる子を送ってくれ」「ちゃんとあいさつのできる子を送ってくれ」と言います。

刑務所でさえ「ちゃんと働ける受刑者を送ってくれ」というのです。

ただ、刑務所だけは受け入れを拒否できない。
だから、そこが「社会のいろんなところで拒否された人たちの最後の『居場所』になって」いるのでしょう。

そうした人たちの人生の初めに、「ちゃんとできる」が当たり前の普通学級(社会)から拒否され、特殊学級に送られ続けてきた教育の歴史を抜きに、子どもたちみんなが共に育つ学校を考えることはできないと思います。


(つづく)
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