ワニなつノート

私が普通学級にこだわって生きてきた訳(002)

私が普通学級にこだわって生きてきた訳(002)



《二つの理由》

「…『ちゃんと働ける受刑者を送ってくれ』と苦情を言う毎日。
さすがに気づきますよね。これはおかしいと。…どう考えても、仕事に就けず、社会のどこにも居場所がない人たちが刑務所に送り込まれてきているだけじゃないか、と」

(朝日新聞2013.1.22)

なぜそんなことが起きているのか?
浜田さんは二つの「理由」をあげています。
一つは「累犯化」の問題。


たとえば『居場所を探して』の中に、広汎性発達障害の32歳の男性の例が載っています。

「菊永は過去7回捕まったうち5回は警察の段階で手続きをやめる「微罪処分」で終わった。説諭されて返されるパターンだ。」

しかし、「2年前の万引きで一度、執行猶予つきの懲役刑を受けていた菊永が今回の事件(スーパーでの食品の万引き898円)を起こしたことは、執行猶予中の再犯に当たる。」

……結果、「被告を懲役6月に処する」という判決が出ることになります。

これを繰り返すのが「累犯化」ということになります。

この男性は32歳ですが、同書の冒頭に出て来る60歳の男性は11回の服役、25年を塀の中で過ごしたとあります。

「60歳になって刑務所内で行った知能テストの結果はIQ28.」

「服役中に「療育手帳」を初めて取得。障害の程度は「A2」。4段階中2番目に重度だった。」


小学校時代は特殊学級に在籍、とあります。

              ◇

さて、もう一つの「理由」として、浜井さんは「社会的弱者と強者とでは刑罰の適用のされ方が全く違います」と答えています。

「…一般的に、家族や仕事があって社会基盤がしっかりしている人は、被害弁償することで示談も得やすい。教育水準が高ければ検察官や裁判官の心証を良くするような謝罪や自己弁護もできる。このため、よほど悪質だったり累犯だったりしない限りは実刑にはなりません。」

「ところが、無職だったり高齢だったり障害があったりして社会的な基盤が弱い人は、被害弁償ができない場合が多い。身元引受人がいなかったり、他人とうまくコミュニケーションがとれなかったりするため、反省がなく再犯の可能性も高いと判断され、実刑を受けやすいのです。」



             ◇


「厚生労働省の研究班がまとめた累犯障害者に関するこんなデータがある。
全国の刑務所で服役している知的障害者の7割が再犯者。
3人に1人が3か月以内に再び罪を犯し、刑務所に逆戻りしていた。
動機で最も多かったのは『生活苦』。
約半数が『帰る場所がない』と答えた。」

(『居場所を探して』長崎新聞社「累犯障害者取材班」著)


犯罪学者の浜井さんがあげている「二つの理由」。
それはそうなのだろうと思います。
刑罰の問題、刑事司法の問題として考えれば、間違ったことが言われている訳ではないのでしょう。


でも、普通学級から受け入れを拒否される子どものそばに三十年いた私にとって、「他人とうまくコミュニケーションがとれなかったりするため」という言葉が喉にささるのです。

他人とうまくコミュニケーションがとれない障害のある人と、コミュニケーションが取れない検察官、裁判官、弁護士しかいなかったのは、どうしてなのか。
子どものころから、みんな分けられて育ったからじゃないか。

将来、裁判官や弁護士なるような優秀な子どもでも、一度も学ばなかったこと、一度も経験しなかったことを身につけることはできません。
障害のある子どもと当たり前にコミュニケーションする機会を与えなかったのは学校です。

言葉がなければ、「反省がない」とみる見方。
それは、言葉のコミュニケーションができないと、みんなと一緒にいる資格もないように扱うところから始まっているのではないでしょうか。
目を合わさなければ、人を思いやる心もないようにみる見方。
言葉がなければ、心もないようにみる見方を教えてきたのが、分ける教育だったのではないでしょうか。

呼吸器をつけている歩さんに、「あゆみお姉さんって死んでるの?」と保育園の子どもたちが質問すること。
「死んでないよ。ちゃんと手動いてるでしょ」
「ふーん、そうなんや」
…こうして、歩さんのいる保育園の子どもたちは、はじめ「死んでいるのか?」と思った人ともコミュニケーションすることを自然に覚えながら育っていきます。

ところが教育の世界では、6歳の子どもに対して、「コミュニケーションの障害」を見つけては「みんなとのコミュニケーションの場、生活の場」から分け続けてきました。

コミュニケーションできないのは、できない人のせい。
学校は長いあいだ、そう教えてきました。

でも、コミュニケーションとは、本来、お互いのことのはずです。
,
       ◇


≪ある人類学者が、たった一人で離れ小島にあがって住み、そこの人たちの習慣を研究しようとしたが、数カ月たっても、どうしてもそこの人たちに、自分の言葉を分からせることができなかったという。

それは、その島の住民が、流れ着いた学者を、自分たちと同じ人間だと考えなかったことが原因だった。

人間でないものが、どんなふうな音を出そうと、その音の意味を解き明かそうと、まじめに考える人は少ない。

その反対に、相手を同じ人間だと考えるところからは、なんとかして、自分の身にひきくらべて、相手の身振りの意味を考えてゆくから、お互いの言葉など全然知らないなりに、言葉は通じてゆくものなのだ。≫

(『ひとが生まれる』鶴見俊輔著  筑摩書房 )
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