12日に「障害児の公立高校進学相談会」がありました。
久しぶりの相談会…、去年は高校の交渉に参加できなかったこと…、今春は3人も浪人になってしまったこと…など、当日まで落ち着かない感じでした。
小学校の相談会と違って、絶対入れるから大丈夫とは言えない気の重さを例年以上に感じていました。
参加者は十数家族で中3だけでなく、小学生の家族も来られていました。
いまは、義務教育に関しては親の希望がわりとスムーズに通るので、「高校」の相談会で初めて「会」に来られる方がほとんどです。
そこで、高校入試に関する情報提供という中身と、会として交渉(運動)しながらの高校実現についての説明とをどう話して行けばいいのかも、最近は迷います。
また、特別支援教育の広がりで、ある程度点数の取れる「障害」(病気)の子どもの相談も増えています。
そうした難しさはあるのですが、相談にみえた方の質問に答えながら話していると、障害の違いを超えて、「これまで、子どもの気持ちを大事にしてきたのだな…」ということを感じます。
そして、「高校という《壁》を前にしても、今までと同じように、なんとか子どもの気持ちに沿う道を探してあげたいんだな…」という思いをひしひしと感じます。
私が「障害児の高校進学」の話を聞いたのは、28年前になります。
15歳の子が、「高校生になりたい」と願う気持ち、その子の親が、「子どもの当たり前の願いをかなえてあげたい」と思う気持ち、そのことを応援したいと思う気持ちを改めて思い出しました。
「入試制度」とか「点数」とか「障害」とか、そんな話の前に、同世代の98%が当たり前に願う「中学の次は、みんなが高校生になる」という当たり前の願いを応援したい、というそれだけの話。
まして、「定員」が空いているのに、同世代の子どもの中から2%足らずの子どもを、「高校生にさせない」犠牲=見せしめのような扱いをする、「教育現場」を、誰も不思議に思わないことは異常に冷酷な社会だと私は思います。
5月22日の朝日新聞に、「慰安婦のヘイトスピーチ 国連委が改善求める」という見出しの記事があります。
【国連の社会規約委員会は21日、日本に対して、従軍慰安婦をおとしめるような行為をやめるよう求めた。一部の排外主義的グループが「従軍慰安婦は売春婦だった」という趣旨のヘイトスピーチ(憎悪表現)を繰り返しているのを受けたもので、政府に改善を求めている。】
この後の記事のなかに、 【今回の見解では、朝鮮学校が国の高校無償化制度の対象外となったことについても、「差別にあたる」と批判し、改善を求めている】とありました。
子どもが選ぶことのできない「生まれた国」で、子どもの教育の機会を制限し、奪うのは差別なのです。
そしてまた、子どもが選ぶことのできない「障害」で、子どもの教育の機会を制限し、奪うのもまた差別です。
98%から地域によっては100%の高校進学率の国。
特別支援学校高等部は希望者100%全入。
この国で、高校の「定員」が空いているにも関わらず、障害のためにテストの「点数」が取れない生徒を、受けとめない「校長や教員」の行う「定員内不合格」もまた、明らかに「差別です。
『学びのセーフティネットの構築』という言葉が、千葉県教育委員会の「教育立県ちばプラン」の中でも、中央教育審議会の答申の中でも使われています。
「様々な困難を抱えている子どもとその家族を支援する取組を強化し、教育のセーフティネットを確保する」と書かれています。
「県民への公約」である、学校の「定員」が空いているのに、教育しない子どもを選ぶ「定員内不合格」は、最もセーフティネットに反することです。
546万4千人。これは、高校生徒数のピーク、1989年度の数字です。
当時の進学率は93%くらいです。
今から24年前に、私たちの社会は546万人分の高校を子どもたちのために準備できていたのです。
336万9千人。
これが、2010年の高校生の数です。
進学率は98%。
高校生になれなかった6万人余りを足しても、342万人分の高校を用意するだけで「希望者全入」は実現できるのです。
希望者全入。
いま、15歳のすべての希望する子どもたちに「高校」を用意できない理由が、この国のどこにあるでしょう?
そして、この時代、この状況においてなお、「定員」が空いているのに、教員が初めから「教育しない子どもを選ぶ」=定員内不合格は異常です。
話が反れました。
それに、この話になると、私の文章が「ヘイトスピーチ」のような憎しみを帯びてしまいます。
一年ぶりの相談会のあとに、私がなぜ「0点でも高校へ」ということを相談会で話し続けているかを、携帯にメモしたものをここに置きます。
◇
豊かな子ども時代が、困難な『大人の苦労』を支える。
学校の勉強ができないことは、人としてひとつも恥ずかしいことじゃない。
その不利益をカバーするに足る豊かな信頼関係が存在すること、今の時代(社会)での生き苦しさや困難ないきさつを、生き延びる自信を支える「自己肯定」という支えを、親は子どもに見せてあげることができる。
「障害」とは、「障害」と名付けた中身を『障害』とみなすこの社会では、そのままの姿で生きることに、多くの壁や偏見、無理解という障害(障壁)があるということを言っているに過ぎない。
障害児は高校に入れない、定員が空いていても入れない、それが、いまこの社会現実かもしれない。
でも、それはあなたが生きていく価値がないということとは全く違う。
「障害」があっても、それをあえて「障害」とはみない社会では、そのままの姿で生きることになんの障壁もない。
小学校、中学校では、できないこと、点数が取れないことがあっても、みんなと同じ生活世界で当たり前に暮らしてきた。
あなたがあなたのままで、堂々と生きていける場所や関係が必ずある。
その根拠? 証拠?
だって、私はあなたに出会えて、あなたと暮らせて、こんなに幸せで、あなたと生きる人生こそが一番豊かな人生だと感じているから。
私が、私の生き方、あなたと生きる私の生き方こそが、その証拠。
そして私がそれを迷いなく信じていることを、すべての子どもたちに伝えるために、98%(15歳の子どもの実感としては100%)の「高校生になる」という当たり前の思い、大人への段階の一歩、その実現はどうしても欠かせない。
◇
【お知らせ】
2013年12月1日または8日(日)
千葉市で集会を行う予定です。
詳細、まったく未定。
やる気だけ、あり。
一年前に計画したのですが、私の病気のこともあり去年はできませんでしたが、今年はやります(>_<)
108人の高校合格!!
障害児の高校進学2013 in千葉
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