【相互行為があふれるところ】(メモ1)
障害のある子どもが普通学級で、安心して学校生活を楽しみ成長する様子を、注意深く観察すると、様々な相互行為が自然に行われていることが分かります。
それぞれの立場の人が、様々な方法で、前向きな感情を強めたり、能力を育んだり、精神的な安心を与えることで、その子らしく行動する力と適応する力を高めることができます。
明らかに重い障害のある子どもを含みこんだ学級での、相互行為の質は、通常の普通学級の質よりも温かく、感情豊かなものになります。それは、最初に、「みんな同じに一人でできて当たり前」という枠組み(縛り)を、誰も持たないからです。
その教室では、先生や子ども同士の、いくつもの、何通りもの種類の相互行為が、繰り返し子どもたちを巻き込んでいます。
以下に、12通りの普通学級の相互行為についてスケッチしてみます。
① 認めること ②交渉 ③共同 ④遊び ⑤ふれあうこと ⑥お祝い
⑦想像力の広がり ⑧抱えること ⑨「待つ」という相互行為
⑩手をかすように知恵をかすこと ⑪創造的行為(障害のある子どもによる)
⑫贈り物(障害のある子どもから)
(※ これは、『認知症のパーソンセンタードケア』(トム・キッドウッド)に紹介されている「前向きな相互行為のリストをもとにしています。一度、書いてしまわないと、自分でも全体がよく分からないので、このメモはとりあえずのものです。」
◇ ◇ ◇
【1・認めること】
障害のある子どもが、クラスの一員として当たり前に認められ、名前で呼ばれ、かけがえのない存在として肯定される、という相互行為が最も基本的なことです。
その子のあいさつや働きかけを、その子独特のやり方であったとしても、あるがままに受け取り、耳を傾けることの繰り返しもまた相互行為を形作ります。
その子の感情や自発的行為、呼びかけなどを「認めること」に「言葉」使う必要はありません。
その子どもを認めるためのもっとも深遠な行為のひとつは、単にまなざしをかわすことだからです。
【2・交渉】
このタイプの相互行為の特徴は、障害のある子どもを、教師や集団の都合に従わせるのではなく、本人の意思、意欲、希望、ニーズに、まず耳を傾けることから始まります。
そのためには、教師の側に、子どもがいま座っていたいのかどうか、教室の外にどんな気がかりなことがあるのかを考える余裕が必要になります。
授業の中身に従わせることが前提や、メインではなく、通常の働きかけに子どもが応じない場合、なぜ子どもが、応じないのかを、やりとりしながら探ることです。
みんなが「授業という生活」を送るなかで、この子にとっての「授業という生活」がどんな意味を持っているのか。この子が授業や、先生の指示をどのように受けとめているのか、どうすれば子どもが取り込むことが可能なのか、毎日の生活の中で多くの交渉が行われます。
おおらかな教師、どんな子どもともつきあえる教師の交渉は、子どものいまの感情、不安や心配、情報を取り込み、納得するまでの時間、を考慮することができます。
大切なことは、依存度の高い障害をもつ子どもの場合でも、その子ができるだけ自分でコントロールできるように、「子ども自身に力を渡すこと」です。
【3・共同(作業)】
ある目的をもって、役割を共有して協力する多くの子どもたちを思い浮かべてみます。
共同の意味は、「一緒に仕事をすること」です。一年生にとって、学校に通い、同級生とともに作り出す四季の思い出のすべてが、共同という相互行為といえます。
一年後の3月の終わりには、先生も親も、子どもたちが、「一年生という仕事を、クラス全員で、一人も欠けることなく、一緒に一年生という仕事(生活)をまっとうしてきたことを感じます。
個人の学力が伸びること。算数の力が伸びること、たくさんの漢字を覚えること。身長や体重が一回り大きくなること。そうした、個人としての「一年間の成長」だけに目がいくことが多いのですが、子どもたちにとって一番の大仕事は、はじめて体験する一年生というクラス集団で、「小学生」として、誰一人途中で見捨てたり、追い出したり、忘れてしまうことなく、一緒に2年生になることは、深く子どもたちの心に刻まれます。
それは、決して、ただ時間が過ぎたということではありません。成し遂げた仕事(生活)の体験は、子どもの一生にわたり、子どもの自信と安心と仲間への信頼を支え続ける基本になります。
実際、中学や高校の教科の先生は、時に忘れることがありますが、小学校の先生は、ほとんどの人が一生覚えています。そして、その先生の記憶と一緒に「同級生」というかけがえのない仲間は、一生その人の隣に居続けることになります。
同じ学校に通うこと。一緒に授業を受けること。一緒に給食を食べること。一緒にトイレにいくこと。一緒に体操着に着替えること。一緒に帰りの会をすること。
これらの「一緒」は、必ずしも「一緒に行動する」ことだけではありません。
たとえば、「みんな一緒に同じ学校に通う」というとき、「一緒に同じ道を歩く」という意味ではありません。地域のあちこちから、いろんな道を通って、同じ教室に、たどりつくことを指します。
また、共同の特徴は、「手伝ってあげる」というものではありません。
毎日の生活の場面では、たとえば車いすの同級生の行動を手伝ってあげる場面があるかもしれません。
でも、「一年生という生活」を共同して成し遂げるという暮らしの実感は、「手伝ってあげる」ではなく、一人一人が、自分の意志で一人一人の人格をもって、クラスという集団を形作っているという、一人一人の子どもの自発性に関わる課程として実感されるものです。
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