(その3)の記事にコメントが届いていました。
非公開で、ということなので、全文は紹介できませんが、
そこに『「こどもの失敗に揺るがない自分を鍛える」この言葉が心に残ります。』という一文がありました。
でも、私自身、それを書いた前後からいろんなことが重なり、自分の言葉などすっかり忘れていました。
「子どもの失敗に揺るがない自分を鍛える」
言葉では簡単に書けます。
だから、私もそう書きます。
書いて、自分の感情と折り合いをつけます。
でも、本当はそれが難しいから、自分に言い聞かすために書いているだけなのです。
「子どもの失敗に揺るがない自分を鍛える」
そんなことは、一人では、できません。
私が一番鍛えられたのは、定時制高校にいるときでした。
そこで、「子どもの失敗に揺るがない自分を」鍛えたのでなく、
「自分の思い通りにはいかない生徒たち」を受けとめるしかない「自分」が鍛えられたのでした。
私たちは、自分の思い通りにはならない、人と、どういう形であれ、つきあう自分を、自分で受け入れるしかありません。
それは、思い通りにしようとすることを「あきらめる」ことであり、思い通りにならない、目の前の現実を受けとめることでもあります。
思い通りにならない一番は、自分です。
でも、そのことと向き合いたくない人が、誰かを、
子どもや弱い立場の人を、思い通りにさせようとするのです。
誰かを思い通りにさせているうちは、思い通りにならない自分と向かい合わずにすむからなのでしょう。
虐待とは、そういうことです。
教育とはそういうことです。
治療とか、療育とか、訓練に一生懸命になれるということは、そういうことです。
向谷地さんの言葉を紹介します。
【人間って、人と人とのつながりが見えなくなってくると、ものすごく恐怖を感じる。
『誰かがそばにいる感覚が失せた状態』なんだそうです。
そこで、手っ取り早く誰かのそばにいる感覚を取り戻すために、誰かを困らせたり何かを壊したりするわけです。
そうすると、お巡りさんも含めた誰かが駆けつけてきてくれる。
言ってみれば、酸素が突然なくなってもう息が吸えない、というのに近い状態だそうですから、それは怒鳴られようが、叱られようが、人とつながることには代えがたいものがある。
叱られたり、怒鳴られたりすることなんて、もう、命を失うことに比べたらささいなことです。】
(『「わからないことは希望なのだ」』春原憲一郎編著 アルク)
統合失調症で長年苦しむ大人が、「叱られたり、怒鳴られたりすることなんて、もう、命を失うことに比べたらささいなこと」と、言うのです。
子どもたちが、どんなに必死な思いで、「みんなといっしょの学校」に行きたいと願っているか。
「みんなと同じように、高校生になりたい」と願っていることか。
私たちは、本当に、生きるためのつながりを求める子どもたちに、迷惑な社会、迷惑な学校、迷惑な入試制度を後生大事に守っているのかと、情けなくなります。
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