ワニなつノート

「特別支援教育」という残酷な制度(その2)

「特別支援教育」という残酷な制度(その2)



私が心の底から「残酷」だと感じたのは、
平成22年度の児童生徒数は5,337人ですが、…平成22年度からの10年間では、合計2,002人の増加が見込まれます。】(※)
という言葉の中身です。
(※「県立特別支援学校整備計画」(平成23年3月・千葉県)より=以下同じ)


H12年~22年の間に、1521人の子どもが増加したそうです。
【この増加の内訳を障害種別で見ると、知的障害特別支援学校の児童生徒が約99%】(※)

そして、H32年までには2002人の増加を予定しています。
この2002人のうち、99%の子どもが「知的障害特別支援学校の児童生徒」の予定なのです。

このうち、「特別支援教育」を本当に希望した子どもがどれだけいた(いる)のかは、分かりません。
どれだけの子どもが、それまでいた地域の子ども社会から、不本意に分けられた(る)のかは、分かりません。

でも、私たちの会に来る親子は、できることなら普通学級に行きたいと願っています。
去年、私が話した3回の就学相談会には100名以上の親子の参加がありました。
また、特別支援教育から、普通学級に戻りたいという相談も毎年のようにあります。

親と子どもの気持ちをありのままに受けとめられていれば、地域の学校に「共に学ぶ」ことへの理解があれば、地域外の学校に通わなくてすむ子どもは大勢いるはずです。

しかし、そうした事情は完全に無視されて計画は立てられています。
その人数が、【H22~32年までに2002人増加】という数字です。

私が「残酷」だというのは、10年先までの、つまりまだこの世に生まれてこない子どもまでもを、今から予定して「地域から」「同世代の子ども仲間から」分ける準備をしている人たちがいるということです。
しかも、それは99%「知的障害」の子どもをターゲットにしているのです。

この前もって「準備された2002人」という数字達成のために、犠牲になる子どもが必ずいるのが、私のこの三十年の経験から、確実に分かります。

特殊学級数を減らさないために、という理由で、普通学級から「探された」子どもたち、「分けられた」子どもたちがいました。
そのことは、学校の先生ならほとんどの人が知っているはずです。

【増加の内訳を障害種別で見ると、知的障害特別支援学校の児童生徒が約99%】(※)


            ◇

また「計画」には、次のような問題点があげられています。

【(3)通学上の課題】

【児童生徒数の増加に伴い、スクールバスの利用を希望しても乗車できない状況が生じています。また、通学区域が広範囲であったり、登下校時に道路が渋滞したりなどの事情から長時間乗車となり児童生徒の心身への負担が懸念されています。】

【スクールバスによる児童生徒の登下校時の送迎については…、「運行時間は、児童生徒の心身に負担がかからないよう目安として1時間30分を超えないようにする」など、児童生徒の安全確保を第一に考えていきます。】(※)


           ◇

「児童生徒の心身に負担がかからないよう目安として1時間30分を超えないようにする」という数字と言葉は、やはり残酷だと私は思います。

障害のある6歳の子どもの「心身の負担がかからない目安」が往復3時間を超えないようにする」というのです。

資料の中には、片道2時間以上、往復で4時間以上の通学を強いられる子どもがいることも示されています。

本当に6歳の子どもに「心身の負担をかけない」ようにしたいなら、地域の学校で安心して通えるように配慮することが、本当の教育行政の仕事のはずです。

実際、私たちの会の子どもたちは、車いすを利用する子どもも、医療的ケアを必要とする子どもも、知的障害のある子どもも、みんな地域の学校で、楽しく学校生活を送っています。

私が「残酷」だというのは、地域の学校で学びたいという親子の願いに対しては、無策であるのに対し、「特別支援教育」だけを強引に推し進めるやり方そのものです。

            ◇

「計画」の中には、「児童生徒数の増加の主な背景」として、次のように書かれています。

《特別支援教育に関する理解の浸透》
【…発達障害も含めた障害のある幼児児童生徒その保護者に、より適切な指導及び必要な支援を行う特別支援教育に関する理解が浸透してきている…】

《特別支援学校の専門性への評価や期待の高まり》
【これまで実施してきた一人一人に合わせたきめ細かな教育や職業的自立に向けた就労支援についての専門的取組や成果が、児童生徒やその保護者に評価され、その期待が高まってきている…】(※)


           ◇


私は養護学校教員免許を持っていました。
小学校と中学校の「情緒障害児学級」で十年以上仕事をしてきました。

「ことばの教室」で出会った6歳の女の子は、いま30歳を過ぎて結婚して子どももいます。
「情緒障害児学級」で出会った9歳の男の子は、いま35歳で今年も年賀状が届きました。
そのとき、その場所で、出会った子どもたちとは本当に楽しい時間を過ごしてきました。
でも、そうした「特別」な場所を辞めたあとに、子どもの「家」に遊びにいくようになって初めて、「本当は普通学級に行きたかった」「他に行かせてもらえる場所がなかった」という本音を聞かせてもらうことができるのでした。

特別支援教育を選ぶ(選ばざるを得ない)親が、特別支援教育を「理解」し「期待」しているというのは、あまりに一面的にすぎません。

そもそも、熱心に特別支援教育を進める人たちは、「安心して楽しく普通学級に通っている障害児」を知りません。
以前、文部科学省の課長が、養護学校のいい所ばかり話すので、「あなたは普通学級にいる障害児」に一人でもあったことがあるのか、話したことがあるのか」と聞いたことがあります。

答は、「ありません」でした。
知っているのは、「普通学級ではうまくいかなかった障害児」が、特殊学級や養護学校にきて落ち着いた、というような例ばかりなのでしょう。

そして、その子が、なぜ「普通学級」で「うまくいかなかった」のか、なぜ「特殊学級」に移らざるを得なかったかには興味もないようです。

ちなみに、H13年から十年間にスクールバスは65台から83台に増えたそうです。
そして、H22年からはさらに2002人の増加を見込んで、バスを増やし、教室を増やし、教職員を増やし学校を新設するというのが、「整備計画」です。

これは、「分けられる子ども」の気持ちを考えたこともなく、普通学級で学ぶ障害児に一人も出会ったことのない人たちが、巨額の予算の使い道の道具として、「特別支援学校整備計画」を作っているとしか私には思えません。


「残酷な制度」という言葉を読んで、「ひいて」いる人もいるだろうと思います。
でも、いまの私はこの言葉でも足りないと感じています。

ただ、そのことを誰にでも分かるように表現できない自分の無力さは認めざるを得ません…。
すこしでも、分けられるときの子どもの気持ちを伝えるために、ある中学生が、小学生のときに特殊学級に移ったときのことを書いた作文を引用します。

          ◇

『特殊学級のこと』

私が、特殊学級に、入ったのは、二年生の休みが始まる前でした。

…先生に、学校に呼びだされて、その先生が、母に、「西六郷小学校に、特殊学級が、あるんですけど、そこに、入ったら、どうでしょうか。」と、母に、話しかけてきました。

母は、先生に、「それは、本人に、きいてみなければ、わかりませんね。」と答えました。

先生は、「そうですか。」といって、又、先生は、「じゃおへんじまっています、今日は、帰えって、いいですよ。」といいました。

母は、先生に、「じゃこれで。」といって、母は、私に、「帰えましょう。」といって、一年三組の教室でで、校門もでて、せつせ歩いて、家に、帰えりました。

その夜、ごはんが、食べてから、母は、私に、「お前、特殊学級にいくかい。」とききました。

私は、きゅうことなのことので、へんじが、できないなので、しばらしてから、母に、「考えてみるよ。」といいました。

母は、「そう。」といいました。

私は、「ねる時も、そのことを考えて、その夜は、なかなかねむれませんでした。

そのあくる日は、ふつうどおりに、学校にいって帰えってから、母に、私は「やっぱり特殊学級にいくよ。」といいました。

母は、「そうかい。」といって、学校の先生の所に、電話しました。

そして、転校とどけをだしにいきました。


(「一緒がいいならなぜ分けた」北村小夜 現代書館)

              ◇


小学校1年生の女の子が、一人で、「自分の居場所」を「選ばされる」ことがあるのです。
6歳か7歳の子どもが、「自分の生きる場所」を「選ばされる」ことがあるのです。

選ばなければならない「理由」は、「障害があるから」です。

まず、そのことが、差別であり、児童虐待だと、私は思います。


一年三組の教室でで、校門もでて、
せつせ歩いて、家に、帰えり
その夜、母親から、「お前、特殊学級にいくかい」と聞かれる。

それは、「今いる場所に、お前の居場所はないようだよ」という意味だと、子どもにはちゃんと伝わります。

それでも、『きゅうことなのことので、へんじが、できないなので、しばらしてから、母に、「考えてみるよ。」と』いって、
「ねる時も、そのことを考えて、その夜は、なかなかねむれ」ないほど、1年生の子どもに「人生を選ぶこと」を、私たちの社会は、教育の名のもとに迫るのです。


そのあくる日、特殊学級への勧めをした担任の先生との、最後のクラスの一日に、どんなことがあったのか、彼女が何を感じ、何を考えたのか、作文には書かれていません。

でも、6、7歳の子どもに「決心」させる何かが、その日そこにはあったのでしょう。

きっと、前日と同じように、一年三組の教室を出て、校門も出て、せっせ歩いて、その日のことを考えながら、せっせ歩いて、家に帰り、その夜、母親に自分の「選択」を伝えるのです。

『ふつうどおりに、学校にいって帰えってから、母に、私は「やっぱり特殊学級にいくよ」と』彼女は言います。

これが「選択」でしょうか。
これが「自己決定」でしょうか。

6,7歳の子どもにこうした「選択」や「決定」を迫る制度は、やはり「残酷な制度」だと私は思います。

まだこの世に生まれてこない子どもたちも含めて、平成32年までに予定されている「2002人」の子どもたちのうち、何人、何十人、何百人の子どもが、彼女と同じように「…やっぱり特別支援学級に行くよ」と「選ばされる」のでしょうか。

私たちは、子どもが「…やっぱり」という言葉を言わせなくてすむように、障害があっても地域の学校で共に生活できる現実を、希望を伝え続けたいと思います。
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