ワニなつノート

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《「自分の『普通』嗤われるの嫌」命絶った二十歳の女性 届かなかった支援、母の苦悩》

タイトルを読めば、二十歳で自死した女性への思いをこめて、書いたのかと思う。

でも中身は支離滅裂だ。

  ◇

自分が感じる「ふつうの感覚」を「わらわれる」のが嫌だという言葉を彼女は遺した。

それは、「あなたの感じるように感じて生きてはいけない」と言われているようで苦しかった、のだと私は受け取る。

そして、「あなたの感じるように感じて生きてはいけない」と彼女に迫ったものは何だったのだろうか?と考える。

  ◇

でも、記事は違う。

「就学前健診では、早期発見につながる発達検査や行動観察などを行っていない教育委員会が3割ほどあり、発達障害が疑われる子どもが見逃されている恐れ」があるという。

就学前健診で障害を「見つけ出そう」とするまなざしそのものが、子どもに「あなたの感じるように感じてはいけない」と迫るものだということを、記者は知らない。

  ◇

この記者は、「発達障害」に苦しんでいる人が「だれか」を見ていない。

【クラスに一人はいた「変わった子」が、「発達障害」として広く認知されるようになった】という言葉からすれば、30人から40人に一人の「子ども」の話をしているんだろうか?

また、厚労省の1.6%という数字と、文科省が使う6.5%の数字の違いもまったく気にしていないようにみえる。


最後にお決まりの「専門家」の言葉でまとめようとするが、これもひどい。

【多様性に目が向けられる社会にはなったが、違いを許容できる社会にはなっていない。】

「クラスに一人はいた『変わった子』」を「発達障害児」にしてしまうことこそが、「違いを許容しない」社会を作ってきたんじゃないのか??

【支援に関わる者は、社会に適応しようと頑張ってきた本人や家族を褒めてあげて、・・・】

「社会に適応しようと頑張ってきた」ことを褒められるのも苦しいと、遺書に書かれているんじゃなかったか。

「社会に適応しようと頑張ってきた」ことを褒めるんじゃなくて、子どものときから、「あなたが感じるように感じてはいけない」と迫らなければいいだけのこと。

社会に適応するためにだけにがんばらなくていい、と思える学校環境をつくること。

発達障害の子も、知的障害の子も、ちょっと変わった子も、どの子もみんな「ふつうの子」とみることが大切なんじゃないのかな。

「就学前健診で、発達障害が疑われる子どもが見逃されている恐れ」があると書く、この記事こそが、彼女をおいつめたまなざしなんじゃないのかな。



      ◇



「自分の『普通』嗤われるの嫌」
命絶った20歳の女性 

届かなかった支援、母の苦悩



2019/5/27 11:55 (2019/5/28 9:00 更新) 西日本新聞



女性が残した遺書。生前、周囲から「普通じゃない」「変わってる」「常識外れ」などと言われ続けたといい、「笑顔で受け流すことに疲れた」と漏らしていたという(写真の一部を加工しています)


 ≪自分の中の「普通」がその社会の「普通」とズレていることを嗤(わら)われるのはもう嫌だった。突きつけられるのも嫌だった≫

 福岡市で1月、そんな遺書を残し、20歳の女性が命を絶った。対人関係の難しさや感覚過敏などを抱え、短大卒業を前に社会に出る不安を深めていたという。発達障害を疑っていた母親(49)は相談機関を頼ったが、支援にはつながらなかった。生きづらさを抱える人たちに、社会は向き合えているだろうか。


 6畳の部屋に置かれた本棚には、女性が好きだったという生き物や植物の本が並んでいた。学習机のわが子の写真に目をやり、母親は漏らした。「私はどうすればよかったのでしょうか…」

 暗黙の了解や言外の意味が分からない子どもだった。「壁に落書きしないで」と注意しても、隣の壁に書き始める。してはいけないと納得するまでに数カ月かかることも多かった。「次の休みどうする?」では理解できず、「土曜日は夕方まで遊べるけど、行きたいところある?」と丁寧に伝えないといけなかった。

 こだわりも強く、幼い頃は何時間でもアリの巣を眺めていたという。味覚や聴覚過敏にも苦しめられた。学校給食は味付けが濃く感じ、ほとんど食べられない。教室の話し声で頭痛がし、耳栓をして登校した。

 「読む」と「聞く」の理解にも差があった。問題文を読み上げれば理解できるが、一人では解答できない。テストの結果は散々だった。「変わっている」と同級生から見られながら、仲の良い友達やフォローしてくれる教師に支えられて何とか過ごしてきたという。


 母親は発達障害を疑い、何度も相談していた。乳幼児健診や就学前健診では「問題ない」。小学校でいじめに遭ったときには児童相談所にも尋ねたが、「レッテルを貼るのはどうか」という意見だった。樹木医になる夢をかなえるため、AO入試で短大に進学。この頃から社会に出ることを意識し、再び公的機関を頼るようになった。


 行政が設置する発達障害者支援センターは「障害があるかもしれないが、診断を受けてもらわないと支援はできない」。県がリストアップした専門医療機関に行くよう促され、18歳以上を対象とする病院に電話をかけたが、「思春期は診断が難しい。20歳になったら来てください」「予約が殺到していて受けられない」と断られた。


 昨年12月、女性は描いていた絵を途中で打ち切り、「もう描けなくなっちゃった」と漏らしたという。20歳の誕生日を迎えた直後、自宅で命を絶った。


 母親は言う。「私がずっとそばにいてあげられるなら、診断は必要なかった。でも社会に出たらそうもいかないから、何かしらの支援や助言がもらいたかったんです。二十歳(はたち)になったらまた相談に行こうねって話していたんだけど、娘は待ってくれなかった」




 クラスに一人はいた「変わった子」が、「発達障害」として広く認知されるようになったのは、平成に入ってから。福祉の谷間に取り残されていた障害を早期発見し、療育につなげるため、2004年に発達障害者支援法が成立。学校や職場などが障害に対し「合理的配慮」を行うことを義務づける法律も16年に施行された。社会的資源の整備が進みつつあるが、残された課題も多い。


 福岡県の20代男性は人間関係を築くのが苦手で、トラブルが絶えなかったという。幼児期、保育士が親に「発達障害では」と伝えたことがあったが、父親は医療機関を頼らなかった。家庭や学校で問題行動を繰り返し、親からは繰り返し殴られた。社会に出てからも対人関係につまずき、水筒に入れた焼酎を職場で隠れて飲んだ。


 窃盗事件を起こして服役し、出所後に福祉につながった。「広汎性発達障害」の診断を受けたのは20歳を過ぎてからだ。人と違うことに劣等感を抱え、何度も自傷行為をしてきた男性は「障害と分かって、ほっとした」。男性の支援者は「もっと早く気付いてあげていたら、つらい思いをしなくて済んだ」と話す。


 厚生労働省の乳幼児を対象とする研究では、顕著な発達障害の特性を示す割合は推計で1・6%。これに対し、総務省が17年に公表した抽出調査では、1歳半児と3歳児健診でこの割合を下回る自治体が複数あった。就学前健診では、早期発見につながる発達検査や行動観察などを行っていない教育委員会が3割ほどあり、発達障害が疑われる子どもが見逃されている恐れがある。



 医療機関に通院や入院をしている発達障害の患者の総数は、02年度の3万5千人から、17年度は23万3千人と7倍近くに増えた。障害への認知が進み、保育士ら子どもに関わる職種で「早期発見」の意識が高まったことが大きいという。


 一方で、全国的に専門病院の「初診待ち」の長期化が問題となっている。総務省の調査では、27病院のうち14病院で3カ月以上の待ちが生じており、最長で10カ月待ちという病院もあった。

 1月に自ら命を絶った福岡市の女性(20)も医療機関を何度も頼ったが、予約が殺到していることなどを理由に断られている。福岡県内の発達障害者支援センターの担当者は「専門病院の初診待ちに加え、診断後に個別に療育できる機関の不足も深刻」と漏らす。


 福岡市発達障がい者支援協議会会長の野口幸弘・西南学院大元教授(特別支援教育)は、早期発見・早期療育の重要性を指摘した上で、「わずかな発達の遅れでも、発達障害を指摘する支援者が増えたように感じる。レッテル貼りだけが進み、支援が追いつかなければ本人や家族が孤立しかねない」と懸念する。

 野口氏は「多様性に目が向けられる社会にはなったが、違いを許容できる社会にはなっていない。支援に関わる者は、社会に適応しようと頑張ってきた本人や家族を褒めてあげて、地域の中で共生できる環境を整えることが求められている」と話した。
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