《強力な固定観念の溶ける時間(3)》
《「ありふれた」ことと「奇跡」のようなことの間》
二つのブログからのイメージ。つづき。
見えているのは、子ども同士のありふれた関係。
同じクラスの子どもたちの、当たり前のワンシーン。
それが「ありふれた」「当たり前」のことであると、頭では分かっている。
だけど、ありふれたことが、ただうれしい。
当たり前の関係が、ただうれしい。
子どもがただ当たり前にそこに友だちといるのが、うれしい。
心のどこかで一度はあきらめた景色かもしれないと思う。
そんなことはもう望んではいけないこと。
そんなことは起こるはずのないこと。
どんなに願っても、障害がなくなることはなく、
だから、それはあきらめなければいけない光景だと、
迫る常識と情報だけがあふれていた。
療育センターの医師もSTもOTも幼稚園の先生も、
教育研究所の相談員も……、
誰もが「ふつう学級じゃこの子がかわいそう」といった。
いじめられたらどうするんですか。
自己肯定感が育ちませんよ。
ふつうの子どもたちと一緒なんて、かわいそうでしょ。
一人だけでできなくて、自信をなくすだけです……。
ぜんぶ、嘘だった。
あの人たちは、この子たちに出会ったことがないのだ。
この光景を、見たことも聞いたことも、
なにより、自分で体験したことがないのだ。
障害があるとかないとか、
そんなの関係ない世界も子どもたちの世界にはあることを、
信じることができないのだ。
きっと、ずいぶん勉強をがんばったのだろう。
かわいそうに。
◇
《強力な固定観念の溶ける時間》
それが、ありふれた場面だと知っている。
なのに、奇跡の場面のように感じる自分がいる。
「当たり前」と「奇跡」の間にあるもの。
当たり前が、なぜ奇跡のようにみえるとき、
「強力な固定観念」は溶けていく。
不安が、ありふれた大丈夫に変わるとき、
「こだわり」は溶けていく。
「障害」があるから無理。
「障害」があったら、一緒は無理。
「障害」があるから、対等な関係は無理。
それは、古い文化の、「強力な固定観念」でしかない。
わが子に出会う前、ずっとそのなかで生きてきたから抜け出すのに、時間がかかった。
だから、目の前のありふれた光景が宝物にみえる。
それは、ふつう学級でなければ不可能だったと、
「当たり前」が「奇跡」である体験をした人は知っている。
最強の「固定観念」は、「ふつう学級はむり」ということだったから。
私たちは、分けられて育ったから、それを信じてしまった。
だから、もう、子どもを分けてはいけない。
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