ワニなつノート

代わりの子犬(その1)




《一度も手にしたことがないのに、本当は「そうしてほしかった」もの》



「子どものかわいがっていた子犬が、子どもの目の前で車に轢かれる――。」
そのとき、私の身体と心は何を感じるだろう。
子どもの悲しみや痛み、恐れや怒りを、私はどう感じるだろう。


子犬を生き返らせることはできない。
私に何ができるだろう。
「すぐに、代わりの子犬を買いに行こう」と声をかけるだろうか?


いいえ、ここに踏みとどまる。
いること以外に何もできない、ここに踏みとどまる。

子どもがいる今この場所にいる。
ここから離れてはいけない。全身でそう感じる。

守るために必要なだけ確かに、でも捕まえられているとは感じないくらいゆるやかに。
お互いのいることを感じられる「何か」を手放さないために。



一度も手にしたことがなくても、本当は「そうしてほしかった」ものを、子どもは教えてくれる。
子どもの納得は、子ども自身の身体の中にある。

その時足りなかった「何か」は、子どもが教えてくれる。
その時うれしかった「何か」を、子どもは教えてくれる。何度も。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「8才の子ども」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事