ワニなつノート

こだわりの溶ける時間 (1)



こだわりの溶ける時間。
こだわりの溶ける関係。
こだわりの溶ける場所。
それを人は、繰り返し生きているんじゃないかと思います。

「こだわり」には「頑な」なイメージがつきまとっています。
それに「硬さ」、「とっつきにくさ」、
「持て余す」イメージが連なります。

でも、それはその人がいま、こうありたいと強く望んでいる姿であり、
自分の大切にしたいものを、必死で守ろうとしている姿にすぎません。
一番大切な自分の真ん中を、譲れない自分を、守っている姿です。

こだわりとは、そうした必死の守りの姿として、
私には感じられてきました。
それがなぜ、
「障害」とか「脳の異常」のように言われるのでしょうか。

子どもの、必死な「守る思い」が理解できずに、
専門家は、そのこだわりを「解け」と迫ります。
解くことが、治ることであり、適応することだと迫ります。

でも、初めてのこの世で、経験もなく、先の見通しも未熟なときに、
「こだわるな」「守るな」「こだわりを解け」
と迫ることは、子どもにとってあまりに無茶な要求です。

専門家は、その「こだわり」をなくすために「訓練」をします。
それは「障害」なんだから、
「治療」「療育」しなければいけないと考えるようです。
「こだわり」があるから、
この子は社会に「適応」できない、と考えるようです。

だけど、「こだわりを解け」と命じる姿勢で、
子どもに伝わるものはどんなことでしょう。

それは、谷間に揺れる吊り橋の上で、
手すりに「つかまるな」ということ。
泳げないのに、海の真ん中で、
浮き輪に「つかまるな」ということ。

そもそも、「そのこだわりを解け」と迫る前に、
この子は、何に迫られて、何が不安なのかと考えなければ、
子どもの気持ちは分かりません。

子どもが初めての場面、うまく状況が飲み込めない時に、
自分にとって数少ない確かなものにしがみつくことで、
必死に守ろうとしている姿を、
「こだわり」と言っているのではないでしょうか。

こだわる必要がなくなれば、子どもは新たな興味に向かって、
自分で一歩を踏み出します。
その、子どもの時間を、待つこと。
それは、子どもにこだわるなと迫るよりも、
ずっとずっと大事なことです。
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